2009年1月8日の娘

前日よりも少しは眠れましたが、何となくぼんやりした目覚め。
通夜まであと1日あります。

午前中、すぎやんがお世話になっていた施設へ向かいました。
退院時に施設長さんに運んでもらった荷物が気になったからです。
それに前日、葬儀社担当のSさんから「棺に入れて差し上げる物、考えておいて下さいね」と言われていたのです。

施設に到着すると、勤務中のスタッフが駆け寄って来られ、そのたびぺこぺこご挨拶。
「大丈夫?」「大変でしたね」「式には参列させてもらいます」といった暖かい言葉を、皆さんからいただきました。

部屋に運び込まれていた退院時の荷物を運び出し、部屋をくるりと見渡しました。
もうすぎやんは、ここに戻って来られない。でも次に片付けに来る時は、必ず連れてこよう。

で、とりあえず、棺にはこれを入れてやることにしました。

私がヤフオクで見つけた、ミニカー。


テレビの上のトラック


そして銀行へ行き、お寺さんへのお布施として明後日に必要となる現金を引き出しました。

前日引っ張り出したアルバム類、そして持ち帰ってきた荷物で、部屋の中はしっちゃかめっちゃか。
でも、すぐに片付ける気持ちにはなれません。

お昼は、たまたま連絡をくれた友達と、ラーメンを食べに行きました。
自分ではしっかり歩いていると思い込んでいましたが、平坦な歩道ですってんころりん。
顔と膝をすりむき、ジーンズには穴がぽっこり。

慌てたのは私よりも、そばにいた友達。
すぐに手持ちのハンカチを濡らし、すりむいた顔の部分を冷やしてくれました。

昼からは霊安室へ。


霊安室


前日、ひとりであまりにも退屈したので、この日はノートパソコンを持って行き、すぎやんの亡くなった時のことなどを思い出し、思いだししながら記録しました。

それから、改めて親戚へ一軒一軒電話。通夜・告別式への参列可否を確認。

「行かれへんけど、お花だけさせてもらうわな。体、気を付けなあかんで」
「ひとりで大丈夫か? 手伝うことはないんか? 明日は早めに行くわな」

そうこうしているうちに、葬儀社担当Sさんが顔を出して下さいました。

前日セレクトした写真をお見せして、遺影の写真をまず決めました。
それから、DVDに収録する写真の選別。

すぎやんの若かりし頃の写真や、家族で撮影した写真、施設スタッフとの写真など、私が語る思い出話やエピソードを聞きながら、Sさんがすぎやんのベストショットをセレクト。
私は約20枚ほどの写真からセレクトしてもらったのですが、写真が全くないという方も、やはりいらっしゃるそうです。

「お父様、日通にお勤めだったんですか?」
「はい、この写真はたぶん青森かどこかに行った時のものじゃないかと」
「あ、ほんとですね。青森の事務所の前みたいですね」

それは、昭和30年代のスナップ写真でした。

「いえね、別のお部屋でご葬儀される方に、やはり日通にお勤めだったという方がいらっしゃって」
「へぇ・・・」
「偶然だな、と思いましてね」

そして、翌日の通夜に向けての打ち合わせ。
納棺は午後3時からの予定ですが、最終決定は当日の朝。決まり次第連絡しますとおっしゃいました。

「それと、棺にお入れするものを、選んでおいて下さいね。お父様がお好きだったものとか」
「ビールとかは無理ですかね?」
「缶とかビンのままでは、無理です。でも、お酒の好きだった故人さんのために、一升瓶とかを持ってこられて、最後のお別れの時にたくさんかけておられる方、いらっしゃいます」
「あー、そういう手があるんですね」

打ち合わせ終了後は、再びすぎやんと2人で夜まで過ごしました。
2人だけの時間は、もうこの日が最後です。

「寂しかったな。でも明日、みんなが来てくれるからな。もうちょっと、待ってな」

そして、デジカメですぎやんを動画と写真で撮影。
もう明後日には、完全にこの体は、なくなってしまうんだな、と思いつつ。

余計なことをして、また泣いてしまった私。

帰り道、棺に入れる物を正式決定。
午前中に買いに走らないと。






2009年1月7日の娘

眠りが浅く、何度も目が覚め、何となく寝た気がしない。気付くと泣いている。
そんな一夜が明けました。

朝8時過ぎ、前日お話を聞かせて下さった葬儀社の方から電話がありました。

第1希望は、市営の葬儀会館。日程は、8日が通夜、9日が葬儀。
第2希望は、業者の葬儀会館。日程は、9日が通夜、10日が葬儀。

「残念ですが、(火葬場の)予約1番の方が、市営葬儀場の小さめの部屋を押さえてしまわれました。申し訳ないのですが、第2希望の方になります」

気の毒そうな声を出す、葬儀社の方。
でも私は、「ああ、やっぱり」という思いが強かった。

実は、葬儀が行われることになった10日は、1994年(平成6年)に亡くなった母の祥月命日に当たるのです。
母の亡くなった日のちょうど15年後が、すぎやんの葬儀日に当たるということです。

1月は母の他に、私の母方の祖母、つまりすぎやんにとっては義理の母に当たる人が亡くなった月でもあります。
1990年(平成2年)の元旦に亡くなった祖母のことを、すぎやんは大変慕っていました。生前、よく私の前で堂々と公言していたものです。

「わしは、実の母親は嫌いや。そやけどあの人は好きやった。頭はええし、優しい人やった。ほんまにええ人やった」

すぎやんが入院した11月というのも因縁めいています。
すぎやんが車椅子生活を送るきっかけとなった、くも膜下出血の発症は、ちょうど四半世紀前の1984年(昭和59年)11月のこと。
つまり、すぎやんの車椅子生活は、25年目に入っていたということになります。

ちなみに11月は、私の誕生月にも当たります。
「頭が痛い」と言って寝込んでいたすぎやんを病院に連れて行ったのは、この私。
20歳の誕生日の前日のことでした。

さらに、両親ともガンに冒され、しかも母がかつて勤務し亡くなった病院に、すぎやんも入院することになってしまったという、偶然などという言葉を超越している事実。
不思議な現実に目がくらみそうになりながらも、私はなるべくすぎやんが元気な頃の通りに過ごすように努めていました。

すぎやんの病気が発覚して以来、すべてが1月に集約されそうな予感がしていたけれど、信じたくなかったから。信じたら終わりだと思ったから。
すぎやんと別れる日はいつか必ず来るけれど、もっと先の1月になることを願っていたから。

そういえば、母の時も、似たような偶然がたくさんあったなぁ・・・。

「それでですね・・・」

電話口の葬儀屋さんの声に、我に返った私。

「昨日も申し上げましたが、10日は友引になりますが、ご了解いただけますね?」

友引に当たる日の葬儀はあまり縁起がよくないと、避ける人が多いのです。
ですが私は特にこだわりはないし、これ以上葬儀の日程が延びることの方が困ります。

「大丈夫です」
「あとお寺様ですが、昨日おっしゃっていたお寺様にお願いしてよろしいんですね?」
「はい。ただご無沙汰しているんで」
「そういう方は多いですから、お気になさらなくてもいいですよ。とりあえず、お寺様のご都合もあると思いますんで、これから私がご連絡してみます。小一時間ほど経った頃に、ご挨拶もかねて喪主様の方からもお電話していただけますか」
「わかりました」
「当社でのご葬儀となりましたので、死亡届提出などの手続き一切は、当社が全て行います。通夜まで丸2日あくことになりますので、ゆっくりとご準備を進められますね」
「そうですね」
「とりあえず本日の午後に、一度打ち合わせをいたしましょう」

それで、午後の適当な時間にすぎやんの安置されている霊安室へ行き、打ち合わせをすることになりました。

それからは、親戚へ葬儀日程を連絡したり、お寺に挨拶したりと、電話をし続ける時間が過ぎていきました。
すぎやんがお世話になっている施設にも連絡すると、電話を取って下さったスタッフが悲鳴のような声を出しながら、挨拶して下さいました。

「数日中に、スタッフみんなでお見舞いに行こうって言ってたのに・・・」

施設長さんも出勤しておられたので、前日のお礼の言葉を伝えました。

午後一番に、すぎやんのところに行きました。
昨夜お話を聞かせてくださったSさんが、そのまま我が家の葬儀の担当者となられました。
昨夜の説明時に「お葬儀のてびき」と記されたクリアファイルを渡されたのですが、その中味に従って説明が行われました。

「今、ざーっとご説明しましたが、またその都度ご説明しますからね。そのクリアファイルには、必要な書類をはさんでいって下さい」

そしてSさんに、すぎやんの死亡診断書と印鑑を預けました。

「死亡診断書は、今後必要になるかもしれませんので、数部コピーさせていただきますね」

これから市役所に死亡届を提出しに行って下さるようです。

「まだ時間がありますんで、とりあえず今晩は、遺影用のお写真を選んでおいて下さい。できれば2〜3枚選んでいただければ、こちらでいいのを選びますから」
「わかりました」
「それと、もしお持ちでしたら、思い出のお写真を12〜3枚用意していただければ、それを取り込んでDVDに焼いて、会場で流させていただきます」
「へえ・・・。それで祭壇にテレビが置いてあるんですね」
「もちろん、DVD作成料金が別途必要ということはありませんので、ご安心下さい」

打ち合わせの後は、ずっとすぎやんと過ごしました。
霊安室は空調完備なのですが、ひんやりしていてちょっと寒い。
体中にドライアイスを仕込まれたすぎやん。何度も顔に触れましたが、やっぱり冷たいし、やっぱり目が開くことはありません。
苦しんでいたけれど、苦痛に顔をゆがめたような顔ではなく、とても穏やかな顔をしているのが救いです。

昨夜よく眠れなかったので、接客スペースの座布団を布団代わりにして、しばらくうたたね。

夕方、霊安室に外線から電話が入りました。
翌日から数日帰省するため式に参列できないとおっしゃる、施設スタッフのWさんからでした。

「今晩、仕事帰りにすぎやんの顔を見に行ってもいいですか?」

午後8時過ぎに顔を出して下さったWさんは、かつてフリーペーパーの表紙をすぎやんと一緒に飾った方です。

彼女はすぎやんの顔をじっくり見て、肌に触れ、いろいろ話しかけて下さいました。
「信じられない」という言葉を、何度も口にされていました。

その後、思い出話に花を咲かせ、Wさんは1時間くらいそばにいて下さいました。
翌日から帰省なのに、仕事帰りでお疲れなのに、気の毒なことをしましたが、とても楽しかった。

すぎやんの部屋には、水彩画が描かれた色紙が何枚か貼られていました
これは、以前お世話になった老人保健施設で、すぎやんと同室でとても仲良くしていただいた男性が描かれたもの。すぎやんが老健施設退去時にプレゼントして下さったのです。

なのにすぎやんったら、スタッフに「自分で描いた」と言いふらしてました。

誰も信じる人などいないだろうと思っていたのですが、彼女はその話を本気で信じておられたらしく、のけぞってました。

「えーっ! あれ、すぎやんが描いたものと違うんですか?」
「ちゃいますよ。あれは、いただきもの。うわ、信じてる人がおったんや」
「信じてましたよ〜。『上手やね、すぎやん』って、私、言うてましたもん」
「あんな趣味があるんやったら、私喜んで、道具とか運んでましたわ。すぎやんは趣味というもんがないから、困ってたんやもん」
「それもそうですね・・・」

ふたりで大笑い。

Wさんが帰られてすぐ、私も霊安室を後にしました。
その夜は1時間くらいかけて、遺影候補を含めた十数枚の写真を選び出しました。






2009年1月6日の娘

すぎやんが力尽きて息を引き取ると、主治医はそのまま退室されました。
そして看護師さんの手によって、すぎやんにぶら下がっていた点滴や機械類が取り外されました。

「ここんとこ、ずっとしんどかったね。つらかったね」

返事のないすぎやんへ、看護師さんはやさしく声をかけて下さってました。

すぎやんの最期を看取ってくれた施設長さんは、目を真っ赤にして泣いておられました。
私も涙がぽたぽたこぼれましたが、思いっきり泣かせてはもらえません。すぐ看護師さんから声をかけられます。

「寝台車はどこに依頼されるか、お決まりですか?」
「いえ、これからです」
「じゃ、これを参考になさって下さい」

看護師さんから渡されたのは、近隣の葬儀社が掲載されたタウンページのコピー。

「これから先生がIVHポートの取り出しをされます。その後、看護師ふたりでお体を拭かせていただきます。いっしょにされますか?」
「はい、できるならさせて下さい」
「先生の処置が終わって、お体を拭き終わるのは、今からだとたぶん8時15分くらいになるかと思います。寝台車はそのくらいの時間を目処に呼んでいただければ。先生の処置が終わったらお呼びしますので、デイルームでお待ちいただけますか」

そこで、私と施設長さんはデイルームへ移動。

最初に、仕事がらみで入会させられた互助会へ電話したものの、対応が今ひとつだったのと、その会社の葬儀会館が近所にはないとわかり、一旦電話を切りました。
だらだら入会したままだったけど、もうこの互助会からは退会だ!

そんなことを思いつつも、看護師さんから渡されたリストを見ながら途方にくれた私、施設長さんに聞いてみました。

「どこかよく聞かれる葬儀社、知りませんかね?」
「この葬儀社さんは、入所者さんの家族さんもよく利用されてますよ。会館の横が火葬場なんです」
「へぇ、それは便利かも」

そこで、施設長さんから教えられたその葬儀社に電話。
8時過ぎに寝台車でお迎えに来ていただくようお願いしました。

すぎやんの処置が終わるまでの待機時間、ぽつぽつと施設長さんとお話し。
病院までの道すがら、すぎやんを強引にでも施設に連れ帰って、施設で最期を迎えさせてあげよう、そう意気込んで来られたとおっしゃってました。

しばらくすると、看護師さんが呼びに来て下さり、再度病室へ。

清拭は、私、看護師さんひとり、施設長さんの3人で行いました。施設長さんは、要所要所で手を貸して下さいました。
着用していたパジャマを脱がせ、私は顔から、看護師さんは足から、タオルで順番にすぎやんの体を拭いていきました。

低栄養状態が続いていたとはいうものの、高栄養点滴を24時間入れっぱなしだったおかげなのか、やせてやつれたということはありません。
そのかわり全身がむくみ、特にお腹はぱんぱんになっていました。

すぎやんの腕に巻かれていた本人識別用タグは、むくみのせいで皮膚に食い込んでいました。
私も看護師さんも、その事実に全く気付いていませんでした。さぞ痛かったことでしょう。

「痛かったな、ごめんな」

そう言いながら、看護師さんはタグをはさみで切って下さいました。

その看護師さんは、すぎやんの足を見てびっくり。

「足、日焼けされてますね」
「夏は半パンで、車いすで表に出て走り回ってましたから」

笑っておられました。

ほとんど動けなくなってからは、定期的に体位交換もして下さってはいたのですが、背中には褥瘡(床ずれ)ができはじめていました。

全身を拭き終わると、看護師さんは時間が経過すると排出されてくる可能性のある水分や血液を、鼻の穴や口の中に専用の器具を入れて排出します。
そして、鼻の穴や耳の穴に脱脂綿が詰められました。

おしりなどからも後々排出物が出るとのことで、きちんと拭き取った後、紙オムツと尿パッドが当てられました。

ひげが少し伸び始めていたので、何とかしたいなと思ったのですが、

「本当は剃ればいいのですが、カミソリなどを使うと、後々赤くなってしまうんです。できるだけ刃物を使わない方がいいんです。もしお手入れされるのなら、はさみでカットするくらいしか」

看護師さんからそうアドバイスされました。
まだ何とかしゃべることができた数日前、ひげを剃っておいてよかった。そうでなかったら、ちょっと汚らしい顔になっていたはずです。

小一時間前に病院の売店で購入した寝間着を着せ、清拭完了。

簡易化粧道具も渡されたのですが、あまりファンデーションを塗ると、真っ白になってしまうので、すぎやんらしくありません。
黄疸で変色した部分だけ、軽くファンデーションをのせました。

寝台車到着まで、まだ時間があります。
とりあえず親戚のひとりに電話し、すぎやん死亡の第一報をその親戚から回覧してもらうよう、依頼しました。

そして、荷物をまとめました。
洗濯済みのパジャマと開封済みのおむつ・リハビリパンツ・尿パッドは病院に寄贈することにしましたが、それでも結構荷物がかさばります。
何より、すぎやんの車いすがあります。

「施設まで、僕が運びましょうか?」
「いいんですか?」
「車で来てますし。お部屋に入れておきますよ」

「いいんですか?」と聞き返したものの、私ひとりではどうしようもありません。
施設長さんのお言葉に甘えることにしました。

私ひとりでの看取りだったら、どうなっていたことやら。

予定より早く寝台車が到着し、施設長さんとはエレベータホールで別れ、私とすぎやんは看護師さんふたりに付き添われ、地下1階に降りました。
出入口には既に葬儀社の職員がふたり待っておられ、手際よくベッドからストレッチャーにすぎやんを移動させ、車に運び込びました。
その様子をぼんやり見ていると、お世話になった主治医も見送りに出て来て下さいました。

車に乗り込む前、葬儀社の人から「何かひとこと」と促された私は、「長い間、ありがとうございました」とだけ言って、一礼。
3人に見送られ、病院を後にしました。

葬儀社の方は、自宅に運ぶつもりで来られた様子だったのですが、エレベータへの搬入が難しいし、葬儀は会館で行うつもりだったので、そのまま葬儀会社の会館に直行してもらうことにしました。

15分ほどで会館に到着、すぎやんは霊安室に安置されました。
霊安室とはいえ、接客スペースもあり、明るく立派なお部屋です。
さっそくすぎやんの体の周りに、ドライアイスが仕込まれました。

葬儀社の職員がすぐ来られ、葬儀方法についての打ち合わせ。
まず選択を迫られたのが、市営葬儀にするか、業者葬儀にするかということ。

葬儀社の会館の横には、市営の葬儀会館と火葬場があります。
業者の会館も市営の会館も、葬儀会場は3部屋。大きめの部屋が2つ、家族葬向けの小さい部屋が1つ。
ただ昨今は家族葬をされる方が増え、小さめの部屋から先に埋まっていくとのこと。

「実は、年末から立て込んでいるんです。年始は火葬場も休みなので、特に小さいお部屋はお待ちいただくような状態が続いているんです」
「どれくらい?」
「火葬場の都合もあるのですが、うちをご利用いただく場合は、小さい部屋だと丸2日お待ちいただくことになりますね。大きめの部屋なら、何とかなるんですが」

職員の方に案内されて、業者の会館の大きめの部屋を見せてもらいました。
祭壇になぜ大画面テレビがあるのかと不思議だったのですが、どうやら遺影が映し出される仕組みみたいです。時代の変化にびっくりしました。
その場で、葬儀についてざっくりとした説明を受けました。

親戚の数も少なく、親戚以外で予想される参列者は、施設のスタッフのみ。どう考えても集まる人数は20人前後でしょう。

ですが、見せていただいた部屋は、あまりにでかすぎます。市営葬儀会館の部屋の大きさも、さほど変わりないとのこと。
それに業者の会館の大きい部屋は、価格が半端ない。

業者の会館の小さい部屋だと、確かに市営の会館よりは値段ははりますが、価格差が大きくかけ離れているということもなさそうでした。
何より業者にお願いする最大のメリットは、全ての手続き関連が一任できること。市営葬儀だと、基本的に私が全て取り仕切らなければなりません。それが不要になるのです。

最悪2日待ってでも、小さい部屋にこだわることにしました。

でもまぁ、安いに越したことはありません。
そこで、第一希望は市営の葬儀会館の部屋、第二希望は業者の会館の部屋にしました。

「明日の朝、8時過ぎにはどうなるかがはっきりします。まず火葬場の順番を押さえないといけないんで」
「火葬場の順番?」

その場で火葬場に電話する職員さん。

火葬する場合、飛び込みで「焼いて」とは言えません。書類発行の必要もありますし、火葬場の前に「焼き待ち行列」ができても困るので、あたりまえですが予約順番制です。

葬儀云々の前に、まず火葬場の予約です。

葬儀の場所は様々です。自宅などでできない場合、自前の会館を持たない葬儀社は、市営葬儀場を勧める場合が多い。
そのため、火葬場の予約が取れた段階で、市営葬儀場での葬儀を希望される方が、そのまま予約を入れてしまわれる場合が多々あるらしいのです。

「今調べたら、予約の1番目じゃないんですよね・・・」

職員による説明がひととおり済み、ひとりになった私は、しばしすぎやんの顔を見つめたり触れたりして過ごしました。
ドライアイスのせいもあり、すぎやんの顔はひんやりしていました。

やっぱり、涙が、ぽとぽとこぼれました。

病院の売店で購入したパンを食べてから、タクシーを呼びました。
帰宅したのは、午後10時半頃。






2009年1月6日のすぎやん

昼過ぎに病院から電話がかかってきました。

「状態があまりよくありません。なるべく早く病院に来てあげて下さい」

来るべき時が、来たのかもしれない。

今晩は病室での泊まり込みになるかもしれないと予想し、仕事も済ませ、洗面セットなどを準備して、午後3時過ぎに病院に入りました。

補給されている酸素量は、最大の10リットル。前日までは鼻にセットされているだけでしたが、口に大きめのマスクが装着されていました。
しかし、たくさんの酸素が補給されているにもかかわらず脈拍も早く、SpO2(体内酸素量)の数字は常時80台。
健康な人だと100近くの数字が平均値なので、明らかに低い状態です。

前日はずっと寝込んでいましたが、この日はすぎやんはずっと意識がありました。
私の顔を見て、マスク越しにもごもごとしゃべっているのですが、何を言っているのか全く聞き取れません。

荒い息遣いで、まさに必死で呼吸している感じです。
つらくて体の持って行き場がないようで、頭を左右に振ったり、ベッドサイドの柵を持とうとしたりして、常に体を動かしています。
そして、時々マスクを取ろうとします。

「はずしたらあかん。はずしたら死んでしまう」と声をかけながら、またマスクをかけるという繰り返しです。

しばらくすると、主治医が病室に入って来られました。
「頑張りましょうね」と声をかけられたすぎやんは、何とかうなづいていました。

「状態が悪いですね・・・酸素量も全然足らないし・・」

主治医はそうおっしゃり、私を別室に案内して、宣告されました。

前日からさらに容態が急変し、全身状態が非常に悪く、もう手の施しようがないところまできていることを。

今日、明日が山であるということを。

「酸素もマックス値の10リットル入れているんですが、全く足りない状態です」

もうたぶん、すぎやんは夜を越すことはできない。

「今晩は、ここにいた方がいいですね?」
「そうですね」

私の質問に、主治医は即答。

病室宿泊決定。

部屋に戻ると、すぎやんは相変わらず苦しそうですが、先ほどと特に様子は変わっていませんでした。
そこで、病院1階にある売店に行き、もしもの時に備えての、男物の寝間着(ゆかた)を購入。ついでに、夜食用のパンも買いました。

それからは、病室ですぎやんを見守る時間が過ぎていきました。

すぎやんは時々、私の顔をじっと見つめます。
巡回してこられる看護師さんに声をかけられると、何とか答えようとしている様子が見られますが、もうあまり力がありません。

まさに分単位で、徐々にすぎやんの状態が悪くなっていきます。
ベッドサイドの監視モニターに表示されているSPO2の数値が80を切ると、低い音で警報音が鳴ります。
その警報音が鳴る時間が、だんだん長くなっていきます。

これは、今晩どころの話ではないかもしれない。

考えたあげく、私はデイルームに行き、すぎやんが暮らしていた施設に電話して、施設長さんを呼んでもらいました。
運良く、まだ事務所におられました。

私は施設長さんに現状をお話しし、もしものことがあった場合、病院からすぎやんが暮らしていた部屋に戻ることはできるかどうか、聞いてみました。
でも予想通り、「それはできません」というお答えでした。

「入院中ではなく、施設内でお亡くなりになった場合には、何とでもしようがあるんですけど・・・」

さらに、施設の裏手にある公民館で、地元の方が葬儀を行っているかを見たことがあるかを確認すると、「もともと使用時には予約が必要だし、そういう葬儀をやっているのを見たことがない」とのお答え。
仕事中のスタッフでも気軽に参列してもらえるような葬儀は、やはり無理なようです。

施設の部屋に戻りたがっていたけれど、仕方がない。後は葬儀屋さんとの話だ。
そう思って電話を切ろうとすると、施設長さんが質問してこられました。

「あの、まだ病室におられるんですか」
「はい、今日は泊まるつもりです」
「・・・僕、これからそちらに行きます。すぐ事務所を出ます」

電話を終えて病室に戻り、椅子にくずれるように座ると、モニターから再び警報音が鳴り出しました。
モニターを見ると、脈拍が40台。

びっくりしてすぎやんを見ると、ものすごく苦しそうな様子です。

私の体は固まってしまい、声も出ません。
ナースコールを押すのが精一杯でした。

どたばたと数人の看護師さんたちが走ってこられ、すぎやんの名前を何度も呼びながら対応しておられます。

そうこうしているうちにどんどん脈拍は下がり、とうとうゼロになりました。

私はもう体が固まってしまって、身動きが取れません。

ふたりの看護師さんが様態を見ながら、主治医にも連絡を取っておられます。
そのうちのおひとりが、半ば呆然と突っ立っている私に声をかけてこられました。

「お耳は聞こえておられます。ですから、そばで声をかけてあげてください」

その言葉でようやく体が動き、私はベッドのそばに行き、すぎやんの肩や腕のあたりを軽く叩きながら、「大丈夫、大丈夫?」と声をかけ続けました。

私の「大丈夫?」に、すぎやんは、確かに「大丈夫」と答えてました。
涙がこぼれました。

すぎやんは数秒に1度呼吸をするような感じで、首を絞められた時に出すような苦しそうな声を出しました。

もう自分でも何を言っているかわからなくなってしまいましたが、「つらい思いさせて、ごめんな」と、声をかけたような気もします。
でも、もう十分頑張っているすぎやんに、「頑張れ」という言葉はかけられなかった。かけちゃいけないと思った。

記憶にあるのは、「大丈夫、大丈夫やから」と言い続けたこと。
そして、「もうすぐ施設長さんが来てくれる」と声をかけ続けたこと。

実はすぎやん、この施設長さんのことが、本当に大好きでした。
彼が施設長就任前、まだ介護スタッフとして走り回っておられた頃、すぎやんは彼の後をついて回り、何かとちょっかいを出し、とてもかわいがっていました。
施設スタッフの中でも、彼の存在は別格でした。

施設長さんが来ると言い続けているうちに、一旦はゼロになったすぎやんの脈拍が、徐々に上がり始めました。
やがて正常値になり、さらに100を超える値になりましたが、何とか再度呼吸を始めたのです。
血圧を上げるための注射もされました。

ただ、看護師さんがライトを使ってすぎやんの目の動きをチェックされていましたが、

「どうですか?」
「反応が、ありませんね・・・」
「この状態から蘇生する人はいるんですか?」
「・・・まれにおられますが、ほぼ、おられませんね・・・」

それでも病室内は、ほんのつかの間、落ち着きました。
看護師さんは、「どこかご連絡しなければいけないところがあれば、すぐされた方がよいです」とおっしゃいました。

もう間に合わないとは思いつつ、ちょくちょく施設まで来てくれていた、私の従姉(父の姉の子供)に一報を入れました。

しかしこの日の午後、闘病中だった彼女のご主人も、ガンでお亡くなりになっていました。

それ以外には、強いて知らせなければならないような親戚もいません。

それからしばらくすると、施設長さんが到着されました。
彼の顔を見た瞬間、「ああ、間に合った」と言ってしまった私。

「さっき、心停止したんですけど、施設長さんが来るって言ってたら、持ち直したんです」

その時点で、彼の目は、うるうるしていました。
一生懸命、すぎやんに声をかけて下さってました。

そして。

すぎやんはまもなく、痰が絡んだような呼吸をし始めました。
そして脈拍が再びどんどん下がり、あっというまに顔中に黄疸が広がりました。

「痰、取れないんですか?」
「何とか、痰を」

私と施設長さんがそばにいた看護師さんに伝えましたが、看護師さんもつらそうです。

「でも、これ以上さらにつらい思いをさせてしまうかも」

そう言いつつ、看護師さんは「すぎやん、痰を取ろうか? 我慢できる? 大丈夫?」と声をかけられましたが、痰を取る間もなく、脈拍は急降下。

そんな中、主治医が入室。
主治医は、じっとすぎやんを見つめています。

瞳孔チェックをされていますが、もう何の反応もないのでしょう。心臓マッサージなどをされる気配は、全くありません。
そして主治医は、私に視線を向けました。

「一生懸命呼吸しようと試みてますが、もう瞳孔の反応もありません。マスク、はずしてみましょうか」

酸素マスクがはずされた瞬間に、ベッドサイドのモニターのグラフは、すぐにまっすぐになってしまいました。
マスクから補給されていた酸素がかろうじて反応していただけで、もう自力呼吸はしていなかったのでしょう。

それを確認後、先生はポケットから取り出した院内用ハンディフォンに表示された時刻を見ながら、宣告されました。

「1月6日午後6時45分、死亡確認とさせていただきます」

私は「ありがとうございました」と、一礼。

すぎやんが、とうとう、力尽きました。






2009年1月5日のすぎやん

寝込むすぎやん


すぎやんはぐっすり寝込んでいて、私が病室にいた2時間近く、全く目を覚ますことはありませんでした。

鼻から補給されている酸素量は、前日の3リットルから4リットルに増えていました。にもかかわらず、体内の酸素数(SPO2)が少なく、機械に表示される波形も、前日よりも明らかに高低差が激しい状態です。
脈拍も早く、寝息も苦しそう。


機械の波形


心臓への負担が、かなりきつくなってきているようです。

前日の主治医の予告通り、点滴の薬の内容が変わっていました。それに、輸液の量をコントロールする機械も取り付けられていました。


輸液量をコントロールする機械


熱は36度台に下がったみたいです。

看護師さんが巡回に来られましたが、それ以外はすぎやんの寝息しか聞こえない病室で、私は特別することもなく、ぼんやり過ごしました。

隣室の2人部屋に入院中の男性たちは、代わる代わるしょっちゅうナースコールを押します。
あまりに押しまくるので、看護師さんもお手上げ状態。
この日は先生が直接病室に行かれ、「用事がない時に押したらあかん」と怒る声が聞こえてきました。

思わず笑っちゃいましたけど、ナースコールを押しすぎるのも困るけど、うちのすぎやんみたいに押さなさすぎも困るよな。

ぼんやりしながらも、今後のことが私の頭を巡ります。
それで今後もうたぶん使わないと思われる、未開封のリハビリパンツ・入浴セット・愛用の片方の靴・尿器を持ち帰ることにして、荷造りを始めました。

すぎやんがこんな状態なのは、とても悲しい。
でも、すぎやんの寿命がはっきり切られた今、退院時の荷物を少しでも減らさないと。

自分の相反する気持ちに、いらだちを覚えます。

病室の窓から見える夕焼けが、この日はとてもきれいでした。


病室からの夕焼け


この病室からの景色が見られるのも、この病院に通うのも、あと少しだろうな。






2009年1月4日のすぎやん

2009年1月4日のすぎやん


朝8時45分頃、携帯電話の着信音で目覚めました。
病院の看護師さんからでした。

「今からすぐ来て頂くことはできますか?」
「え、何かあったんですか?」
「先生からの説明を聞いていただきたいのです。ちょっと容態が悪いので・・・」

気持ちは動転しているのですが、直前まで寝込んでいたので、寝とぼけた返事しかできない私。

「あ、えっと、今何時・・・」
「9時前です」
「すみません、これから朝ご飯食べるんで、10時までには行きます」

電話を切って、ちょっと気持ちを落ち着かせる。

大部屋にいるわけじゃないんだから、病室にはすぎやんしかいないんだから、コンビニでおにぎり買って、病室で食べればいいんだ。

そこで大急ぎで身支度を済ませ、途中のコンビニで食料を調達して、9時20分頃に病院に飛び込みました。
歯磨きをしてないのに気付いたのは、病院へ向かう途中でした。

すぎやんの部屋は2人部屋ですが、現在は完全に個室状態です。
部屋に入ると、空きベッドが撤去されていました。

いよいよ人工呼吸器か。

ベッドサイドの機械の数字は、前日に比べてもさほど変わりません。
ただ補充している酸素量が、前日までは1の目盛りに合わされていたのが、3になっています。

1リットルから3リットルに増やされているということです。

しばらくすると主治医がやってきて、私を別室に案内しました。

「とにかく容態がよくないんです。もうどうしようもないところまで来てしまっているんです」

そして、今までの経緯から順々に説明して下さいました。

すぎやんの病名は、十二指腸ガンと転移性肝ガン。
肝臓への転移が認められるので、外科医は「根治手術は不可能」と判断されました。
そこで、化学療法に移行。

抗がん剤のTS-1とジェムザールを、通常の7割程度の量から投与を開始しましたが、容態が悪化して投与中止。
貧血状態を解消するために輸血や血小板輸血が何度も行われ、点滴で栄養をかなり入れているにも関わらず、低栄養状態がずっと続いています。

この状態が長く続くと、血液が濃縮されたような状態になり、血液中の水分が周りの臓器に浸潤し始め、手足がむくんだり、お腹や肺に水がたまりやすくなるのだそうです。

また、血液の浸透圧が下がるため、体の中は点滴などの水分で一杯なのに、腎臓は脱水状態とみなすため、すぎやんの体内は非常にアンバランスな状態になってしまっています。

「そんなわけで現在は、心臓と腎臓が正常に機能していない、多臓器不全の状態なんです。今は、心不全を起こしかけてますね」

そう言いながら主治医が見せてくれたレントゲンの写真には、肺の辺りに白い影が見えています。

「機械の数字的には昨日とあまり変わりはないです。でも呼吸も荒いので、いつ呼吸が止まるかはわからない状況です」
「・・・」
「ご本人は『大丈夫だ』と言い張っておられますが、現在は気力でもっている状態で、かなりしんどいはずです。この気力が切れた時に、がたがたっと悪くなる可能性が非常に高いです」

私が朝から呼び出されたのは、やはりすぎやんに人工呼吸器を付けるかどうかの意思確認のためだったのです。

「心不全を防止するためには、気管切開をして、人工呼吸器を取り付ける必要があります。どうしますか?」
「・・・」
「もし付けるなら、今日これからしようと思っています」

人工呼吸器を取り付けると、肺と心臓の管理は機械で行うことになります。心臓への負担も少しは和らぐでしょう。
でも、すぎやんとの会話は完全に不可能になります。

「まぁ正直、ご本人も嫌がられると思います。しゃべることの出来る方は、たいがい嫌がられるんですよ」

人工呼吸器を付けたとしても、問題は解決しません。

呼吸器を取り付けると、水分を減らす、つまり現在の点滴量を減らす必要があるのだそうです。
そうすると、ただでさえ脱水状態とみなしている腎臓の脱水がさらに進行し、遅かれ早かれ腎不全の状態に陥ってしまいます。

呼吸器を取り付けなければ、心不全を起こす可能性が極めて高い。
もし無事に乗り越えても、必ず腎不全となってしまうだろう。
透析という手もあるが、元々の病気(ガン)があるので、透析担当医もOKを出さないだろう。万が一、透析ができたとしても、今度はガンが大きくなる。

主治医は、そうぽつぽつと言葉を続けます。

八方ふさがりです。

「アルブミンも3日間投与したんですけど、この薬は1ヶ月に3回しか使えないんです。それ以上使う場合は、全額自己負担となってしまうんです。利尿剤なども使用して尿の排出を助けてはいますが、それもいつまでも続かないでしょう」

血液検査の結果も悲観的な数字ばかりです。
そう、もう、打つ手がないということです。

ちょっと悩んだのですが、人工呼吸器を付けてもらうのはやめておくことにしました。
すぎやんを苦しめるかもしれないけれど、若い頃から何度も手術を繰り返していたすぎやんの体に、もうこれ以上メスを入れるのだけは避けたかった。
それに、少しでも会話ができるなら、それに賭けたかった。

「わかりました。それじゃあ、このままいきましょう。あとは、ご本人の気力次第です。点滴の内容も、これからまた変えます」
「あの、もうあと1ヶ月とか、そんなレベルですか」
「いや・・・1週間とかそれくらいですね・・・」

1ヶ月なんて無理だって、わかってました。覚悟はしてました。
でも実際に聞いてしまうと、やはりショックです。

ため息をついて呆然としてしまった私を、主治医はじっと見つめていました。

「今の状態って、やっぱり抗がん剤が効きすぎたんですか?」
「うーん、もともとの病状とか、体の状態もあったでしょうし・・・」
「でもきっかけが、抗がん剤?」
「きっかけにはなったでしょうね」

バイパス手術は逃げだと思って選んだ化学療法。それなのに、こんなことになってしまった。
すぎやんと2人で決めた道だけど、果たしてこれでよかったのか。
ここ数日、私の心にこみ上げるのは、そればかりです。

「こんなになるんだったら、バイパス手術を選んでおいたらよかったんでしょうか・・・。ちょっと悩んでるんです・・・」
「もし手術していたとしても、少しは食べられるようになっていたとは思いますが、患部はそのまま残っているから、どうなっていたかは・・・でも、低栄養状態にはなっていたかもしれませんね」

どっちにしても結果は同じだったのではないか、というニュアンスが、主治医の言葉の行間から伝わってきました。

ふらふらになりながら病室に戻ると、すぎやんは私の顔をじっと見つめます。
主治医と何を話してきたのか、気になる様子でした。

「呼吸がしんどそうやから、人工呼吸器を付けようかって聞かれたわ。そやけど、断ってきたで。そのかわり、もうちょっとしんどいで。点滴も違うのに変えてくれはるって」
「呼吸器は、嫌や」

納得してくれたようです。

ただなぜか、「オペ(手術)か」「外来へ行くんか」と、私に何度も聞きます。

「こんな体で、外来に用事はあらへん。それに、オペなんかできるわけないやんか。薬も変えてくれはるらしいから、もうちょっと頑張ろう」

この期に及んで、まだ「頑張ろう」と言わなければならないなんて。
すぎやんはもう、十分頑張っているのに。

それにすぎやんは、まだ治療費などの心配をしてます。
もうそこまで私に気を遣うのは、やめて。

疲れ切っていたのですが、お腹はすいたので、コンビニで調達したおにぎりを絶飲食中のすぎやんの横で食べる私。

「ごめんな。お腹すいたから、ここで食べるわ」
「それ、なんや」
「おにぎり。ごめんな、食べられへん人の横でこんなことして、鬼のような娘やなぁ」

私の言葉に、すぎやんは笑ってました。

そうこうしているうちに、すぎやんは「喉が渇いた」と言い出しました。
そこで看護師さんから主治医に確認してもらい、「少しずつなら水分もOK」とのことだったので、水を飲んでもらいました。

尿意はあるらしいのですが、しきりに「しょんべん、出えへん。痛い」と苦しそうに訴えます。腎臓の機能が確実に悪くなってきているのでしょう。
そのたびに、「楽にして。オムツしてるんやから、漏らすこともないんやで」としか声を掛けられないのが、本当につらいです。

まだ話ができる間に、来られる方には来てもらおう。

私は、すぎやんが暮らす施設に電話して、顔なじみのスタッフに顔を出してもらえるようお願いしました。
ちょくちょく施設まで来てくれていた、私の従姉(父の姉の子供)にも連絡を入れました。でも彼女のご主人も、ガンが悪化して入院中。予断を許さない状況だとおっしゃってました。

洗濯物を持って一旦家に戻り、洗い終わった洗濯物を夜に運びました。
すぎやんはよく寝ていたので起こさず、そのまま帰りました。






2009年1月3日のすぎやん

2009年1月3日のすぎやん


部屋の前で、看護師さんに会いました。

熱が上がれば注射して、ちょっと下がってまた上がり、という繰り返しは、まだ続いているようで、「今日は飲み薬を飲んでいただきました」とおっしゃいました。

「筋肉注射なんで、普通よりもかなり痛くてつらいですし、ご本人も飲み薬がいいとおっしゃったので」

体調は、前日とさほど変化がないようです。
血圧の数値がかなり低かったのですが、ここ数日で改善したようです。

ただ、常時酸素を吸入している割には、体内の酸素数(SPO2・正式には「経皮的動脈血酸素飽和度」と言うのだそうです)が低くなってきています。息苦しそうなのも変わりません。
もしかしたら、肺炎になりかけているんじゃないかと、心配しています。

そんなすぎやん、めずらしく「喉がかわいた」と言いだし、吸い飲みのお茶をあっという間に2杯飲み干しました。

ただ、すぎやんの言葉が本当に聞き取りづらくなり、この日は断片的な単語を聞き取るのが精一杯。
昔の話をしているのは確かなのですが、内容はわからなかったです。

つらいはずなのに、相変わらず意地を張っているようで、巡回してきた看護師さんに具合を聞かれても、「つらい」とか「しんどい」とは言いません。

「昨日より楽になったわ」

楽になっているはずはないのに。

時々、周りの点滴やら機械やらを見て、つぶやいてます。

「えらいこっちゃなぁ」

私にしてみたら、ずいぶん前から「えらいこっちゃ」です。
すぎやんたら、まるで人ごとのよう。

それでも口数はかなり減り、うとうとしていることが多くなりました。

だけど、すぎやんは時々急に目を見開き、扉のガラスに映る人影が気になるらしく、「そこに人がおる」などと言ってました。
また、私の顔を凝視している時間も増えました。

夕方の4時くらいが、オムツ交換の時間です。
ここ数日は、オムツ交換の時にクッションを差し替えたりして、自力で体を動かすことが困難になってきているすぎやんの体位交換も行われています。

普通に会話できるようには、もうならないのかな。

夜、すぎやんが暮らす施設の責任者の方から、病状確認のお電話をいただきました。
現状を説明し、当分退院は無理だろうと説明すると、「そうなんですか・・・」とため息をついておられました。

「お見舞いに行かせていただいた時、病院側にお話を聞こうとしても、個人情報の問題とかで、何も聞かせてもらえないんですよ」
「そうなんですか」
「施設の者だからって言ってもダメなんです。あくまで家族さんじゃないと、って」

とにかく、熱が無事下がって体調が安定し、もし次のステップに進めるようになったら、今後どのようにすれば施設での生活が可能かという打ち合わせを、かかりつけ医も交えて話し合う必要があるという見解で一致しました。


寝込んでいるすぎやん






2009年1月2日のすぎやん

2009年1月2日のすぎやん


脈拍数が多いのは相変わらずです。
走り終わった後のような感じの呼吸で、ぜいぜい言ってます。


監視装置の数字


そのせいか、何を言っているかがますます聞き取りづらくなってきました。
ひとりごとみたいな言葉や、私に一生懸命話しかけてくれる言葉も、半分以上わかりません。

視線もなんとなくぼんやりしてます。

私が着ているセーターの肩の上に付いている飾りボタンを見て、

「何、肩に豆つけているんや」
「豆?」
「そこに付いてるやんけ」
「あ、これはボタン。豆とちゃうで」

それに、病室に虫など全く飛んでいないのに、「部屋に蛾が飛んでいる」とも言ってました。

つらさは尋常ではないと思うのに、私に気を遣って、なんだかんだとしゃべろうとするし、相変わらず看護師さんにまで気を遣っているようなので、警告を発しました。

「もういいかげんにせんと怒るよ。今は病気やねんから、無理をしたらあかん。余計な気を遣わんでもええ」
「怒られてばっかりや」

すぎやん、ぶつぶつとつぶやいてました。

体温がまた38度台になったため、昼頃に注射をしたようです。そのせいか、私がいる頃には37度前半の体温まで下がりました。
また、利尿剤が効いたのか尿もたくさん出ていました。

でもまた熱は上がるんだろうな・・・。


ぼんやりしているすぎやん






2009年1月1日のすぎやん

2009年1月1日のすぎやん


元旦の私の恒例行事である、母が眠るお墓への初詣を済ませ、その足で病院へ行きました。

ナースステーションでは、主治医がパソコンと格闘中。
「こんにちは」と声を掛けると、私の顔を見た瞬間に、「あ〜、あのですね〜」と言いながら立ち上がり、すぎやんの病室に向かわれました。

この日も朝から血液検査が行われたようなのですが、相変わらず血小板の数値が低いので、すぐに血小板輸血をしたとおっしゃった後、体全体の栄養状態が芳しくないという言葉がありました。
特に、アルブミンの値が非常に低いとのこと。

血液の液状成分のことを、血漿(けっしょう)と言います。
血漿中に一番多く含まれるタンパク質が、肝臓で生成されるアルブミン。
血管内の水分の保持や、ビタミンやホルモンなどを運ぶ働きをするそうです。

アルブミンが低下すると、血管から水分が漏れ出します。その影響で、すぎやんは体の末梢に浮腫(むくみ)が起きやすい状態だとのことです。
これを改善するために、アルブミン製剤の点滴が行われることになりました。

しかしこのアルブミン製剤は、血漿分画製剤(けっしょうぶんかくせいざい)と呼ばれる、人の血液から作り出された薬。
人によっては副作用が出るというリスクがあるのです。

そのため、同意書へのサインが求められました。

「尿も出にくくなっているようですので、利尿剤も入れます」

昨日の血液検査の結果で、肝臓関連の数値が非常に高くなっていたので、理由を聞いてみると、胆汁の流れが悪くなっているせいではないかとおっしゃいました。

胆汁は肝臓で作られ、胆のうに蓄えられ、必要に応じて胆のうから胆管を通って、十二指腸に出てきます。
すぎやんは既に胆のうを切除してしまっているので、肝臓から直接胆汁が十二指腸に出てきます。

だけど、すぎやんの十二指腸には、大きな腫瘍(ガン)があります。
その腫瘍がもしかしたら大きくなっており、食べ物だけでなく、胆汁すら十二指腸を通らなくなってしまっている可能性が高いとのことなのです。

ただただ、ため息しか出ない私。

主治医は、「寒気が出てきているので、また注射をします」という言葉を残して退室されました。
入れ替わるように看護師さんが来られ、すぐ筋肉注射が接種されました。

高熱は相変わらずで、前日よりもさらに脈拍数が多く、常に100以上の値が表示されています。常に走っているのと同じ状態なので、息づかいも荒く、ぜいぜい言ってます。

だから、すぎやんがいろいろしゃべりかけてくれても、言葉が聞き取れない。
何度聞き直してもわからない時の方が多くなってきました。

意識もやや朦朧としているようです。

「何、メガネかけてるねん」
「誰が?」
「お前や」
「メガネなんか、かけてへんで。もしかして、お母ちゃんに見えた?」

生前メガネをかけていた母。私はメガネはかけていませんが、それでもすぎやんが時々びびるほど、私は母にうり二つなんです。
それにすぎやんは、母がこの日は仕事なのか、ということも私に聞いてました。

母は亡くなっているんですけどね・・・。
すぎやんはそれを知っているんですけどね・・・。

注射後しばらくすると、悪寒は治まったようです。
するととたんに「暑い」と言い出し、体を動かして掛け布団をどけようとし始めます。
そして、ぼーっとしながらもテレビを見始めました。

点滴薬はどんどん増えて、もう何がなんだかわからない状態です。

本当にどうなるんだろう。熱は下がるんだろうか。少しでもよくなるんだろうか。






2008年12月31日のすぎやん

2008年12月31日のすぎやん


すぎやんの熱が下がりません。
前日よりもさらにつらそうで、肩で息をしています。息づかいも荒く、顔色も良くありません。

「寒い」

病室は暖かく、布団をどっさりかぶっているのに。

すぎやんは私との会話を試みようとがんばってますが、口がもつれたような状態で、非常に聞き取りにくいです。
慣れている私でもダメなのだから、主治医や看護師さんは大変だろうな。

この日、また血液検査があったようで、結果が床頭台の上に置かれていました。

貧血は相変わらずですが、赤血球だけでなく、白血球の数も激減しています。ヘモグロビンの値も低いです。
すぎやんの体内に、酸素が行き渡っていないということです。

それに、肝臓関連の値が非常に高くなってきています。

予断を許さない状況であることは、もう間違いありません。

ため息をついていると、すぎやんは「体が痛い」と言い、横を向こうとしています。
すぎやんがベッドの柵を何とかつかんで横を向いている間、背中をしばらくさすりました。

「布団かぶってへんけど、寒い?」
「寒うない。ぬくい」
「寒かったら言うてや」
「お前の情で、ぬくいんや」
「・・・おもしろいこと言うなぁ」

しばらくして再度寝転んだのですが、それでも痛がります。
そこで、体の右側に挟んであった三角形のクッションをはずしてみました。


スウィングフロート(三角小)/D-1(D-I)
スウィングフロート(三角小)/D-1(D-I)


「あ、ちょっと楽になった」

すぎやんはそうつぶやき、すぐにうとうとし始めました。

寝息の呼吸も荒いので、見ているとつらいです。






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