2009年1月6日の娘

すぎやんが力尽きて息を引き取ると、主治医はそのまま退室されました。
そして看護師さんの手によって、すぎやんにぶら下がっていた点滴や機械類が取り外されました。

「ここんとこ、ずっとしんどかったね。つらかったね」

返事のないすぎやんへ、看護師さんはやさしく声をかけて下さってました。

すぎやんの最期を看取ってくれた施設長さんは、目を真っ赤にして泣いておられました。
私も涙がぽたぽたこぼれましたが、思いっきり泣かせてはもらえません。すぐ看護師さんから声をかけられます。

「寝台車はどこに依頼されるか、お決まりですか?」
「いえ、これからです」
「じゃ、これを参考になさって下さい」

看護師さんから渡されたのは、近隣の葬儀社が掲載されたタウンページのコピー。

「これから先生がIVHポートの取り出しをされます。その後、看護師ふたりでお体を拭かせていただきます。いっしょにされますか?」
「はい、できるならさせて下さい」
「先生の処置が終わって、お体を拭き終わるのは、今からだとたぶん8時15分くらいになるかと思います。寝台車はそのくらいの時間を目処に呼んでいただければ。先生の処置が終わったらお呼びしますので、デイルームでお待ちいただけますか」

そこで、私と施設長さんはデイルームへ移動。

最初に、仕事がらみで入会させられた互助会へ電話したものの、対応が今ひとつだったのと、その会社の葬儀会館が近所にはないとわかり、一旦電話を切りました。
だらだら入会したままだったけど、もうこの互助会からは退会だ!

そんなことを思いつつも、看護師さんから渡されたリストを見ながら途方にくれた私、施設長さんに聞いてみました。

「どこかよく聞かれる葬儀社、知りませんかね?」
「この葬儀社さんは、入所者さんの家族さんもよく利用されてますよ。会館の横が火葬場なんです」
「へぇ、それは便利かも」

そこで、施設長さんから教えられたその葬儀社に電話。
8時過ぎに寝台車でお迎えに来ていただくようお願いしました。

すぎやんの処置が終わるまでの待機時間、ぽつぽつと施設長さんとお話し。
病院までの道すがら、すぎやんを強引にでも施設に連れ帰って、施設で最期を迎えさせてあげよう、そう意気込んで来られたとおっしゃってました。

しばらくすると、看護師さんが呼びに来て下さり、再度病室へ。

清拭は、私、看護師さんひとり、施設長さんの3人で行いました。施設長さんは、要所要所で手を貸して下さいました。
着用していたパジャマを脱がせ、私は顔から、看護師さんは足から、タオルで順番にすぎやんの体を拭いていきました。

低栄養状態が続いていたとはいうものの、高栄養点滴を24時間入れっぱなしだったおかげなのか、やせてやつれたということはありません。
そのかわり全身がむくみ、特にお腹はぱんぱんになっていました。

すぎやんの腕に巻かれていた本人識別用タグは、むくみのせいで皮膚に食い込んでいました。
私も看護師さんも、その事実に全く気付いていませんでした。さぞ痛かったことでしょう。

「痛かったな、ごめんな」

そう言いながら、看護師さんはタグをはさみで切って下さいました。

その看護師さんは、すぎやんの足を見てびっくり。

「足、日焼けされてますね」
「夏は半パンで、車いすで表に出て走り回ってましたから」

笑っておられました。

ほとんど動けなくなってからは、定期的に体位交換もして下さってはいたのですが、背中には褥瘡(床ずれ)ができはじめていました。

全身を拭き終わると、看護師さんは時間が経過すると排出されてくる可能性のある水分や血液を、鼻の穴や口の中に専用の器具を入れて排出します。
そして、鼻の穴や耳の穴に脱脂綿が詰められました。

おしりなどからも後々排出物が出るとのことで、きちんと拭き取った後、紙オムツと尿パッドが当てられました。

ひげが少し伸び始めていたので、何とかしたいなと思ったのですが、

「本当は剃ればいいのですが、カミソリなどを使うと、後々赤くなってしまうんです。できるだけ刃物を使わない方がいいんです。もしお手入れされるのなら、はさみでカットするくらいしか」

看護師さんからそうアドバイスされました。
まだ何とかしゃべることができた数日前、ひげを剃っておいてよかった。そうでなかったら、ちょっと汚らしい顔になっていたはずです。

小一時間前に病院の売店で購入した寝間着を着せ、清拭完了。

簡易化粧道具も渡されたのですが、あまりファンデーションを塗ると、真っ白になってしまうので、すぎやんらしくありません。
黄疸で変色した部分だけ、軽くファンデーションをのせました。

寝台車到着まで、まだ時間があります。
とりあえず親戚のひとりに電話し、すぎやん死亡の第一報をその親戚から回覧してもらうよう、依頼しました。

そして、荷物をまとめました。
洗濯済みのパジャマと開封済みのおむつ・リハビリパンツ・尿パッドは病院に寄贈することにしましたが、それでも結構荷物がかさばります。
何より、すぎやんの車いすがあります。

「施設まで、僕が運びましょうか?」
「いいんですか?」
「車で来てますし。お部屋に入れておきますよ」

「いいんですか?」と聞き返したものの、私ひとりではどうしようもありません。
施設長さんのお言葉に甘えることにしました。

私ひとりでの看取りだったら、どうなっていたことやら。

予定より早く寝台車が到着し、施設長さんとはエレベータホールで別れ、私とすぎやんは看護師さんふたりに付き添われ、地下1階に降りました。
出入口には既に葬儀社の職員がふたり待っておられ、手際よくベッドからストレッチャーにすぎやんを移動させ、車に運び込びました。
その様子をぼんやり見ていると、お世話になった主治医も見送りに出て来て下さいました。

車に乗り込む前、葬儀社の人から「何かひとこと」と促された私は、「長い間、ありがとうございました」とだけ言って、一礼。
3人に見送られ、病院を後にしました。

葬儀社の方は、自宅に運ぶつもりで来られた様子だったのですが、エレベータへの搬入が難しいし、葬儀は会館で行うつもりだったので、そのまま葬儀会社の会館に直行してもらうことにしました。

15分ほどで会館に到着、すぎやんは霊安室に安置されました。
霊安室とはいえ、接客スペースもあり、明るく立派なお部屋です。
さっそくすぎやんの体の周りに、ドライアイスが仕込まれました。

葬儀社の職員がすぐ来られ、葬儀方法についての打ち合わせ。
まず選択を迫られたのが、市営葬儀にするか、業者葬儀にするかということ。

葬儀社の会館の横には、市営の葬儀会館と火葬場があります。
業者の会館も市営の会館も、葬儀会場は3部屋。大きめの部屋が2つ、家族葬向けの小さい部屋が1つ。
ただ昨今は家族葬をされる方が増え、小さめの部屋から先に埋まっていくとのこと。

「実は、年末から立て込んでいるんです。年始は火葬場も休みなので、特に小さいお部屋はお待ちいただくような状態が続いているんです」
「どれくらい?」
「火葬場の都合もあるのですが、うちをご利用いただく場合は、小さい部屋だと丸2日お待ちいただくことになりますね。大きめの部屋なら、何とかなるんですが」

職員の方に案内されて、業者の会館の大きめの部屋を見せてもらいました。
祭壇になぜ大画面テレビがあるのかと不思議だったのですが、どうやら遺影が映し出される仕組みみたいです。時代の変化にびっくりしました。
その場で、葬儀についてざっくりとした説明を受けました。

親戚の数も少なく、親戚以外で予想される参列者は、施設のスタッフのみ。どう考えても集まる人数は20人前後でしょう。

ですが、見せていただいた部屋は、あまりにでかすぎます。市営葬儀会館の部屋の大きさも、さほど変わりないとのこと。
それに業者の会館の大きい部屋は、価格が半端ない。

業者の会館の小さい部屋だと、確かに市営の会館よりは値段ははりますが、価格差が大きくかけ離れているということもなさそうでした。
何より業者にお願いする最大のメリットは、全ての手続き関連が一任できること。市営葬儀だと、基本的に私が全て取り仕切らなければなりません。それが不要になるのです。

最悪2日待ってでも、小さい部屋にこだわることにしました。

でもまぁ、安いに越したことはありません。
そこで、第一希望は市営の葬儀会館の部屋、第二希望は業者の会館の部屋にしました。

「明日の朝、8時過ぎにはどうなるかがはっきりします。まず火葬場の順番を押さえないといけないんで」
「火葬場の順番?」

その場で火葬場に電話する職員さん。

火葬する場合、飛び込みで「焼いて」とは言えません。書類発行の必要もありますし、火葬場の前に「焼き待ち行列」ができても困るので、あたりまえですが予約順番制です。

葬儀云々の前に、まず火葬場の予約です。

葬儀の場所は様々です。自宅などでできない場合、自前の会館を持たない葬儀社は、市営葬儀場を勧める場合が多い。
そのため、火葬場の予約が取れた段階で、市営葬儀場での葬儀を希望される方が、そのまま予約を入れてしまわれる場合が多々あるらしいのです。

「今調べたら、予約の1番目じゃないんですよね・・・」

職員による説明がひととおり済み、ひとりになった私は、しばしすぎやんの顔を見つめたり触れたりして過ごしました。
ドライアイスのせいもあり、すぎやんの顔はひんやりしていました。

やっぱり、涙が、ぽとぽとこぼれました。

病院の売店で購入したパンを食べてから、タクシーを呼びました。
帰宅したのは、午後10時半頃。






2009年1月7日の娘

眠りが浅く、何度も目が覚め、何となく寝た気がしない。気付くと泣いている。
そんな一夜が明けました。

朝8時過ぎ、前日お話を聞かせて下さった葬儀社の方から電話がありました。

第1希望は、市営の葬儀会館。日程は、8日が通夜、9日が葬儀。
第2希望は、業者の葬儀会館。日程は、9日が通夜、10日が葬儀。

「残念ですが、(火葬場の)予約1番の方が、市営葬儀場の小さめの部屋を押さえてしまわれました。申し訳ないのですが、第2希望の方になります」

気の毒そうな声を出す、葬儀社の方。
でも私は、「ああ、やっぱり」という思いが強かった。

実は、葬儀が行われることになった10日は、1994年(平成6年)に亡くなった母の祥月命日に当たるのです。
母の亡くなった日のちょうど15年後が、すぎやんの葬儀日に当たるということです。

1月は母の他に、私の母方の祖母、つまりすぎやんにとっては義理の母に当たる人が亡くなった月でもあります。
1990年(平成2年)の元旦に亡くなった祖母のことを、すぎやんは大変慕っていました。生前、よく私の前で堂々と公言していたものです。

「わしは、実の母親は嫌いや。そやけどあの人は好きやった。頭はええし、優しい人やった。ほんまにええ人やった」

すぎやんが入院した11月というのも因縁めいています。
すぎやんが車椅子生活を送るきっかけとなった、くも膜下出血の発症は、ちょうど四半世紀前の1984年(昭和59年)11月のこと。
つまり、すぎやんの車椅子生活は、25年目に入っていたということになります。

ちなみに11月は、私の誕生月にも当たります。
「頭が痛い」と言って寝込んでいたすぎやんを病院に連れて行ったのは、この私。
20歳の誕生日の前日のことでした。

さらに、両親ともガンに冒され、しかも母がかつて勤務し亡くなった病院に、すぎやんも入院することになってしまったという、偶然などという言葉を超越している事実。
不思議な現実に目がくらみそうになりながらも、私はなるべくすぎやんが元気な頃の通りに過ごすように努めていました。

すぎやんの病気が発覚して以来、すべてが1月に集約されそうな予感がしていたけれど、信じたくなかったから。信じたら終わりだと思ったから。
すぎやんと別れる日はいつか必ず来るけれど、もっと先の1月になることを願っていたから。

そういえば、母の時も、似たような偶然がたくさんあったなぁ・・・。

「それでですね・・・」

電話口の葬儀屋さんの声に、我に返った私。

「昨日も申し上げましたが、10日は友引になりますが、ご了解いただけますね?」

友引に当たる日の葬儀はあまり縁起がよくないと、避ける人が多いのです。
ですが私は特にこだわりはないし、これ以上葬儀の日程が延びることの方が困ります。

「大丈夫です」
「あとお寺様ですが、昨日おっしゃっていたお寺様にお願いしてよろしいんですね?」
「はい。ただご無沙汰しているんで」
「そういう方は多いですから、お気になさらなくてもいいですよ。とりあえず、お寺様のご都合もあると思いますんで、これから私がご連絡してみます。小一時間ほど経った頃に、ご挨拶もかねて喪主様の方からもお電話していただけますか」
「わかりました」
「当社でのご葬儀となりましたので、死亡届提出などの手続き一切は、当社が全て行います。通夜まで丸2日あくことになりますので、ゆっくりとご準備を進められますね」
「そうですね」
「とりあえず本日の午後に、一度打ち合わせをいたしましょう」

それで、午後の適当な時間にすぎやんの安置されている霊安室へ行き、打ち合わせをすることになりました。

それからは、親戚へ葬儀日程を連絡したり、お寺に挨拶したりと、電話をし続ける時間が過ぎていきました。
すぎやんがお世話になっている施設にも連絡すると、電話を取って下さったスタッフが悲鳴のような声を出しながら、挨拶して下さいました。

「数日中に、スタッフみんなでお見舞いに行こうって言ってたのに・・・」

施設長さんも出勤しておられたので、前日のお礼の言葉を伝えました。

午後一番に、すぎやんのところに行きました。
昨夜お話を聞かせてくださったSさんが、そのまま我が家の葬儀の担当者となられました。
昨夜の説明時に「お葬儀のてびき」と記されたクリアファイルを渡されたのですが、その中味に従って説明が行われました。

「今、ざーっとご説明しましたが、またその都度ご説明しますからね。そのクリアファイルには、必要な書類をはさんでいって下さい」

そしてSさんに、すぎやんの死亡診断書と印鑑を預けました。

「死亡診断書は、今後必要になるかもしれませんので、数部コピーさせていただきますね」

これから市役所に死亡届を提出しに行って下さるようです。

「まだ時間がありますんで、とりあえず今晩は、遺影用のお写真を選んでおいて下さい。できれば2〜3枚選んでいただければ、こちらでいいのを選びますから」
「わかりました」
「それと、もしお持ちでしたら、思い出のお写真を12〜3枚用意していただければ、それを取り込んでDVDに焼いて、会場で流させていただきます」
「へえ・・・。それで祭壇にテレビが置いてあるんですね」
「もちろん、DVD作成料金が別途必要ということはありませんので、ご安心下さい」

打ち合わせの後は、ずっとすぎやんと過ごしました。
霊安室は空調完備なのですが、ひんやりしていてちょっと寒い。
体中にドライアイスを仕込まれたすぎやん。何度も顔に触れましたが、やっぱり冷たいし、やっぱり目が開くことはありません。
苦しんでいたけれど、苦痛に顔をゆがめたような顔ではなく、とても穏やかな顔をしているのが救いです。

昨夜よく眠れなかったので、接客スペースの座布団を布団代わりにして、しばらくうたたね。

夕方、霊安室に外線から電話が入りました。
翌日から数日帰省するため式に参列できないとおっしゃる、施設スタッフのWさんからでした。

「今晩、仕事帰りにすぎやんの顔を見に行ってもいいですか?」

午後8時過ぎに顔を出して下さったWさんは、かつてフリーペーパーの表紙をすぎやんと一緒に飾った方です。

彼女はすぎやんの顔をじっくり見て、肌に触れ、いろいろ話しかけて下さいました。
「信じられない」という言葉を、何度も口にされていました。

その後、思い出話に花を咲かせ、Wさんは1時間くらいそばにいて下さいました。
翌日から帰省なのに、仕事帰りでお疲れなのに、気の毒なことをしましたが、とても楽しかった。

すぎやんの部屋には、水彩画が描かれた色紙が何枚か貼られていました
これは、以前お世話になった老人保健施設で、すぎやんと同室でとても仲良くしていただいた男性が描かれたもの。すぎやんが老健施設退去時にプレゼントして下さったのです。

なのにすぎやんったら、スタッフに「自分で描いた」と言いふらしてました。

誰も信じる人などいないだろうと思っていたのですが、彼女はその話を本気で信じておられたらしく、のけぞってました。

「えーっ! あれ、すぎやんが描いたものと違うんですか?」
「ちゃいますよ。あれは、いただきもの。うわ、信じてる人がおったんや」
「信じてましたよ〜。『上手やね、すぎやん』って、私、言うてましたもん」
「あんな趣味があるんやったら、私喜んで、道具とか運んでましたわ。すぎやんは趣味というもんがないから、困ってたんやもん」
「それもそうですね・・・」

ふたりで大笑い。

Wさんが帰られてすぐ、私も霊安室を後にしました。
その夜は1時間くらいかけて、遺影候補を含めた十数枚の写真を選び出しました。






2009年1月8日の娘

前日よりも少しは眠れましたが、何となくぼんやりした目覚め。
通夜まであと1日あります。

午前中、すぎやんがお世話になっていた施設へ向かいました。
退院時に施設長さんに運んでもらった荷物が気になったからです。
それに前日、葬儀社担当のSさんから「棺に入れて差し上げる物、考えておいて下さいね」と言われていたのです。

施設に到着すると、勤務中のスタッフが駆け寄って来られ、そのたびぺこぺこご挨拶。
「大丈夫?」「大変でしたね」「式には参列させてもらいます」といった暖かい言葉を、皆さんからいただきました。

部屋に運び込まれていた退院時の荷物を運び出し、部屋をくるりと見渡しました。
もうすぎやんは、ここに戻って来られない。でも次に片付けに来る時は、必ず連れてこよう。

で、とりあえず、棺にはこれを入れてやることにしました。

私がヤフオクで見つけた、ミニカー。


テレビの上のトラック


そして銀行へ行き、お寺さんへのお布施として明後日に必要となる現金を引き出しました。

前日引っ張り出したアルバム類、そして持ち帰ってきた荷物で、部屋の中はしっちゃかめっちゃか。
でも、すぐに片付ける気持ちにはなれません。

お昼は、たまたま連絡をくれた友達と、ラーメンを食べに行きました。
自分ではしっかり歩いていると思い込んでいましたが、平坦な歩道ですってんころりん。
顔と膝をすりむき、ジーンズには穴がぽっこり。

慌てたのは私よりも、そばにいた友達。
すぐに手持ちのハンカチを濡らし、すりむいた顔の部分を冷やしてくれました。

昼からは霊安室へ。


霊安室


前日、ひとりであまりにも退屈したので、この日はノートパソコンを持って行き、すぎやんの亡くなった時のことなどを思い出し、思いだししながら記録しました。

それから、改めて親戚へ一軒一軒電話。通夜・告別式への参列可否を確認。

「行かれへんけど、お花だけさせてもらうわな。体、気を付けなあかんで」
「ひとりで大丈夫か? 手伝うことはないんか? 明日は早めに行くわな」

そうこうしているうちに、葬儀社担当Sさんが顔を出して下さいました。

前日セレクトした写真をお見せして、遺影の写真をまず決めました。
それから、DVDに収録する写真の選別。

すぎやんの若かりし頃の写真や、家族で撮影した写真、施設スタッフとの写真など、私が語る思い出話やエピソードを聞きながら、Sさんがすぎやんのベストショットをセレクト。
私は約20枚ほどの写真からセレクトしてもらったのですが、写真が全くないという方も、やはりいらっしゃるそうです。

「お父様、日通にお勤めだったんですか?」
「はい、この写真はたぶん青森かどこかに行った時のものじゃないかと」
「あ、ほんとですね。青森の事務所の前みたいですね」

それは、昭和30年代のスナップ写真でした。

「いえね、別のお部屋でご葬儀される方に、やはり日通にお勤めだったという方がいらっしゃって」
「へぇ・・・」
「偶然だな、と思いましてね」

そして、翌日の通夜に向けての打ち合わせ。
納棺は午後3時からの予定ですが、最終決定は当日の朝。決まり次第連絡しますとおっしゃいました。

「それと、棺にお入れするものを、選んでおいて下さいね。お父様がお好きだったものとか」
「ビールとかは無理ですかね?」
「缶とかビンのままでは、無理です。でも、お酒の好きだった故人さんのために、一升瓶とかを持ってこられて、最後のお別れの時にたくさんかけておられる方、いらっしゃいます」
「あー、そういう手があるんですね」

打ち合わせ終了後は、再びすぎやんと2人で夜まで過ごしました。
2人だけの時間は、もうこの日が最後です。

「寂しかったな。でも明日、みんなが来てくれるからな。もうちょっと、待ってな」

そして、デジカメですぎやんを動画と写真で撮影。
もう明後日には、完全にこの体は、なくなってしまうんだな、と思いつつ。

余計なことをして、また泣いてしまった私。

帰り道、棺に入れる物を正式決定。
午前中に買いに走らないと。






2009年1月9日の娘【前編】

すぎやんとのお別れの2日間が、いよいよスタート。

朝一番に、葬儀社のSさんから連絡が入りました。
納棺は前日の予告通り、午後3時からで正式決定したとのこと。

「午後2時くらいまでに、霊安室にお越し下されば結構ですよ」

そこで午前中、棺に入れる物を買いに大型スーパーへ。

まずすぎやんといえば、これは欠かせない。



【発泡酒】 サッポロ 生搾り みがき麦 500ml(1ケース/24本入り)


昨年発泡酒が大幅に値上がりしたため、第3のビールを発泡酒だと偽って飲んでもらっていた私。
でも最後くらいは、これで見送ってやりたいな、と。

でもこの生搾り、なかなか地元のスーパーで売っていません。業務スーパーですら扱っていない店があります。この日行った大型スーパーにも、ありませんでした。
かつてこのメーカーの大阪工場が、市内にあったのに。なんでだろう?

どうしようかと思ったのですが、施設の近所にある酒屋さんのことを思い出しました。
たしか、店頭の自販機に入ってたはずだ。

で、次に向かったのが、日本酒コーナー。



上撰 ワンカップ大関 瓶 180ml


かつてすぎやんが、水代わりに朝っぱらから一気飲みしていた、ワンカップ。
その空き瓶が我が家のコップ代わりになっていた、ワンカップ。
肝硬変で体中が真っ黄色になっていても飲んでいた、ワンカップ。
容態が急変する前、看護師さんなどに「買うてこい」と言っていた、ワンカップ。

私にとってはつらい思い出しかよみがえってこないワンカップだけど、もういくら飲んでも誰にも怒られないんだから、入れてやろう。
2瓶、買いました。

あと、これも絶対欠かせない。



ハイソフト ミルク 12粒【イージャパンショッピングモール】


施設スタッフの間では「すぎやん=ハイソフト」とまで言われた、大好きだったキャラメル。
これも2箱購入。

そして、お刺身売り場の前で考え込む私。
マグロの刺身や寿司が大好きだったすぎやん。入院してからも「寿司が食いたい」としきりに言ってました。
何とかマグロの握り寿司を棺に入れられないだろうか。

今買ってしまうと、確実に傷んでしまうし・・・。
すぎやんは死んじゃってるけど、腐ったものは食べさせたくないし・・・。

少し考えた後、妙案を思い付いたので、この場では購入しないことに。

スーパーの帰り道、酒屋さんにまわり、サッポロ生搾りを2本調達して家に戻りました。

棺には他に、お気に入りのベスト2枚と帽子も入れるつもりで準備しました。

ベストはもうずいぶん前に購入したもので、洗濯傷みも激しかったのですが、肌身離さず着てくれていました。

お好み焼きの前でVサイン

お気に入りベストを着たすぎやん


帽子も、どこかへ出かける時は必ずかぶっていたものです。

誕生日色紙

入院時もかぶって出かけたのですが・・・。

それと、ミニカー。

テレビの上のトラック


棺に入れる物をまとめた後は、葬儀場で宿泊するための準備をしました。
通夜に参列してくれる親戚は、たぶん5〜6人。最悪1人で夜を過ごすことになるかもしれないな。

慌ただしく準備をしていると、あっという間に時間は過ぎていきます。
お昼を食べ、喪服を着用し、いよいよ出発です。
荷物が多いのでタクシーを呼び、すぎやんが待つ葬儀場へ向かいました。

<後編へ続く>






2009年1月9日の娘【後編】

霊安室に到着したのは、午後2時前。
まずは、すぎやんにご挨拶。

「もうじき、みんなが来てくれるからな」

霊安室の横に、通夜・告別式が行われる部屋があります。
ひょいとのぞき込むと、会場の準備がすっかり整っていました。

遺影の写真は会場入口に置かれ、祭壇上のテレビ画面には、遺影と同じすぎやんが映されています。

葬儀会場

誰もいないのをいいことに、会場内にふらふら入り込む私。

「あ、先生から花が来てる・・・」

入院直前までお世話になったかかりつけ医から、供花が届いてました。
私には連絡がなかったので、医院の方が直接葬儀場までご連絡下さったのでしょう。

祭壇を見ていると何とも言えない気分になり、部屋の中央でぼんやり立ち尽くし、しばらく動くことができませんでした。

霊安室に戻ってしばらくすると、担当のSさんが顔を出して下さいました。
そして、通夜振る舞いの料理の発注、レンタルする布団の数など、細々とした打ち合わせの後、

「これから、控え室の方に移動していただきます。ご案内しますので、どうぞ」

葬儀会場となる部屋の横にある控え室は、10人以上は入れる広い部屋。
霊安室は寒かったのですが、こちらは生きている人間用の空調完備。ものすごく暖かい。
テレビもあり、小さいながらシャワー室もあります。

荷物を運び込み、しばしぼんやりしていると、午後3時。
納棺のスタートです。

霊安室から会場まで運ばれてきたすぎやん。
合掌の後、2人の職員さんが、手際よくすぎやんに白い着物を着せ、足袋を履かせ、白装束に変えていかれます。

着替えが終わったすぎやんは、棺の中にすっぽりと納められました。

私が持ち込んだベスト2枚は、きちんとたたんで体の上に置いて下さいました。帽子はその上に。
そしてハイソフトは、頭の周りにぐるりと仕込まれたドライアイスの上に、ばらまくように置かれました。トラックは、ハイソフトのすぐそばに。

納棺は10分ほどで終了し、棺は祭壇前に安置されました。

祭壇

午後4時くらいから、親戚も顔を出し始めました。私からは連絡を入れていなかった親戚も来られ、びっくり仰天。
午後5時半を過ぎる頃から、施設のスタッフの方々が次々と姿を見せて下さいました。その数は、親族の数をはるかに上回っていました。

通夜開式前、担当のSさんに付き添われ、お寺さんにご挨拶。

午後6時。すぎやんの通夜がスタート。
お寺さんが入場する前に、私が選んだ写真を焼き込んだDVDが流されました。
それを見るだけで、涙がぽたぽたこぼれる私。

いい雰囲気なのに、司会をして下さったSさんたら、すぎやんの亡くなった日を「1月9日」だとおっしゃいました。
おかげで涙が引っ込んだのですが、すぎやんは通夜当日に死んだことになってしまいました。

通夜終了後、Sさんは私に平謝り。
あまりの自分のミスに絶句してしまい、言い直しもできなかったみたいです。
確かに、言い間違いの後、妙な間があきましたもん。

開式中は、立ったり座ったりおじぎしたり。スタッフの言う通り、操り人形に徹するしかありません。
式は滞りなく進み、最後に喪主の挨拶が求められました。


本日はお寒い中、父の通夜にご参列いただきまして、誠にありがとうございました。
おかげをもちまして、通夜を滞りなく終えさせていただきました。
生前お世話になりました皆様のお姿を見て、父もきっと喜んでいると思います。
明日、この場所で午前11時より、葬儀・告別式を行います。お時間がございましたら、ご参列いただきますよう、よろしくお願いします。
本日のご参列、誠にありがとうございました。


泣きそうになりながら、通夜直前までかかって作成したカンペを読み上げました。

通夜終了後、一応出入り口でお見送りをすることになってはいたのですが、すぐに帰ってしまう人などおらず、もうわちゃわちゃです。
特に施設スタッフの方々は、式が終了後も名残惜しそうに、すぎやんの顔を見て下さっていました。涙もあちこちで見られました。

通夜が終わり、残ってくれた親戚は4人。控え室に準備されたお寿司などをつまみながら、いろいろ話をしました。
そのうちの一人が、私と一緒に泊まってくれることになりました。

しゃべったり、テレビを見たり、すぎやんの様子を見に行ったりしながら、時間は静かに流れていきました。

その合間には、お仕事で通夜に参列できなかった施設スタッフが数人、顔を出して下さいました。
すぎやんが大好きだったスタッフ、「つねちゃん」もその中のひとりでした。


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翌日の告別式も仕事で参列できないとおっしゃるつねちゃんは、こうおっしゃいました。

「これ、明日棺に入れてほしいんです」

渡されたのは、すぎやんに宛てた彼女直筆のお手紙。

思いもよらないプレゼントに、胸がいっぱいになってしまった私。
何が書いてあるのか気になって仕方がなかったけれど、これは彼女からのすぎやんへのラブレター。
読みたい衝動を必死にこらえました。

深夜、布団に入ったものの、落ち着きません。
夜中、明け方と、何度かすぎやんの顔を見に行きました。

もうあと数時間で、すぎやんは完全に見えなくなってしまいます。






2009年1月10日の娘【前編】

寝たのか寝ていないのかわからない一夜が明けました。

一緒に泊まってくれた母方の従姉は、結構朝早くから身支度して、ごそごそしてます。
私は7時過ぎに布団から抜け出し、昨夜食べ残したお寿司を朝食代わりにもぐもぐ。

9時頃には、お布団の引き上げ、そして料理屋さんが片付けに次々到着。

葬儀社担当Sさんも登場。葬儀の簡単な打ち合わせの後、折り詰めを受け取りました。
折り詰めの中味は、マグロの握り寿司。

実は前夜、「棺の中にちょっとだけでいいんで、マグロの握り寿司を入れたいのだけれど、頼んでもらうことはできないですか?」とSさんに相談したのです。
Sさんは「それなら」と快くおっしゃり、通夜振る舞い用の料理を持って来てくれた業者に数貫だけ作るよう依頼して下さったのです。

10時過ぎくらいから、親戚が再度集結し始めました。
すぎやんと同じ日にご主人を亡くされた父方の従姉も、「葬儀だけは行くわ」と言って駆けつけてくれました。

Sさんからは、出棺の際に位牌を持つ人、写真を持つ人、ふたをした棺の上に花束を置く人を決めておいてくれと言われていました。
喪主である私が位牌を持つのは決定事項のようなものでしたが、あとは誰に頼むか。

でも私の中ではその役目を担ってほしい人は、一瞬で決まりました。

写真を持ってもらうのは、この従姉以外あり得ません。
なぜなら、自分の意志ですぎやんに時々会いに来てくれていた人は、彼女だけでしたから。

で、彼女に頼むと、

「私でええん?」
「ええん?、って、なんで?」
「他にもいてはるのと、違うん?」
「かまへんやん」

何か妙な具合のやりとりになってしまい、顔を見合わせて大笑い。

開式の時間が近づいてきました。
この日参列してくれた施設スタッフは4人。全員男性。
すぎやんの最期を看取ってくれた施設長さんが、いち早く到着されました。

ふたをした棺の上に花束を置いてもらう人は、彼以外考えられませんでした。
顔を出してくれなかったらどうしようかと、内心ひやひやしていたくらいです。
早速依頼すると、「僕でいいんですか?」と言いつつも、快く引き受けてくれました。

開式直前、Sさんに付き添われ、お寺さんに挨拶とともにお布施をお渡し。

午前11時、開式。
前日の通夜同様、最初にDVDが流された後、お寺さんが入場、読経が始まりました。
参列者が少ないので、葬儀規模によっては一大事となる焼香順位や止め焼香などのことは一切考えず、適当な順番で焼香していただけました。

読経が終了し、喪主挨拶です。
足かけ2日がかりで作成した挨拶を、涙をこらえながら、カンペ片手に読み上げました。


本日はお忙しい中ご会葬いただき、ありがとうございました。
おかげをもちまして、葬儀・告別式も滞りなく終えさせていただきました。

かかりつけのお医者様から、父の血液検査の結果がよくないと精密検査をすすめられたのが、ちょうど2ヶ月前の昨年11月10日のことでした。
それから10日後に入院し、あれよあれよという間に本日この場に立っているという気がして、まだ父が亡くなったという実感がわきません。

ついこの間まで、入院中で絶食中なのに「ハイソフト、買うてこい」とか「ワンカップ、買うてこい」と言ったり、看護師さんに「ここに発泡酒売ってへんか」と聞いたり、主治医に「明日帰れるか」と言って困らせたりしていたのです。

ですが今から15年前の今日1月10日は、私の母が亡くなった命日です。
両親ともガンに冒され、両親とも同じ病院で亡くなりました。
来るべき時が来てしまったのかなという思いもあります。

本日、こうやって私がこの場に立っていられるのは、本日ご参列いただいている皆様が、父と私の15年間を様々な形でサポートして下さったおかげです。
故人共々、厚くお礼申し上げます。

今後とも、父の生前中と変わりなくご交際・ご指導下さいますようお願い申し上げ、御礼のご挨拶とさせていただきます。
本日のご参列、誠にありがとうございました。


いよいよ出棺です。

すぎやんの棺が前に出され、ふたが開けられました。
葬儀社スタッフによって祭壇に供えられたお花がどんどん切り出され、参列者に配られます。

「お花は故人様のお水代わりとなります。たくさん入れてあげて下さいね」

つねちゃんから預かった手紙と、今朝届いた握り寿司は、枕元に置きました。

「昨日、つねちゃんが手紙を持って来てくれたから、ここに置くで。それとお寿司。今頃になって、ごめんな」

そして発泡酒とワンカップ。
親戚に渡して、体の上にたくさんかけてもらいました。

それ以降は、悲しくて、悲しくて、大泣き。
あんなに人前で声をあげて泣いてしまったこと、初めてだったと思います。

私がいつまでもめそめそしているので、ふたが閉められない職員さん。
少し落ち着いた私を見て、「よろしいですか?」とおっしゃり、静かにふたが閉まりました。
そして施設長さんが、用意された花束を棺の上に置いてくれました。

お寺さんを先頭に、位牌を持った私、写真を持った従姉の後を、棺が続きます。
男手が少ないので、参列してくれた施設スタッフ全員が棺を持ってくれました。

会館入り口で待っていた霊柩車に、棺が静かに納められ、会館のすぐ横にある火葬場に向けて出発していきました。
参列者は徒歩で向かいます。

Sさんが、親族以外の参列者4人に「参列者も少ないですし、よろしければ火葬場まで行かれませんか」と声を掛けて下さいました。
私も「もし時間がよろしければ」と言うと、施設長さんが「行きます」とおっしゃり、来て下さいました。

会館から火葬場までは、徒歩2〜3分。
棺は既に、炉の前に安置されていました。

どんな葬儀に行っても、私が一番心が冷えるようなつらさを感じる瞬間が、この光景。
形ある人としての、最後の瞬間が。

炉の前で読経が始まり、全員が焼香を行いました。
終了後、すぎやんが横たわる棺は静かに炉の中に入っていき、扉が閉められました。

もう二度と、形あるすぎやんに会うことはできません。
また、涙がこぼれました。

さよなら、すぎやん。

<後編へ続く>






2009年1月10日の娘【後編】

すぎやんの棺が炉の中に消え、一瞬の静寂。その後、参列者たちは揃って炉の前を離れます。
施設長さんが気を遣って黙って火葬場を後にされる後ろ姿を、私も黙って目で追っていました。

あなたに最後まで見送ってもらえて、すぎやんはきっと喜んでます。
私も、すごく、うれしかった。
つらい思いをさせて、ごめんなさい。でも、本当にありがとう。

葬儀会場に戻ると、食事の時間。
すぎやんの写真を持ってくれた、ご主人を亡くされたばかりの従姉は、「(ご主人が)ひとりで寂しがっているといけないから」と言い残し、そのまま帰って行かれました。

食事に付き合ってくれた親戚は6人。広い会場なのに、使うテーブルはたったひとつ。
正面に置いたすぎやんの遺影と位牌を見ながら、用意した食事を食べてもらいました。
食事後は、親戚同士で近況報告会を勝手に開催してました。

骨揚げまでの約2時間、賑やかではないけれど、穏やかな時間が過ぎていきました。

70代後半になる父の従姉が、お嫁さんと一緒に通夜・葬儀両日とも参列して下さったのですが、私がこの方とまともに会話をしたのはこの日が初めて。
父方の祖母の葬儀で会ったことがあるらしいのですが、当時まだ私は高校生。父の話の中には時々登場していた方なのですが、私は全く記憶にありません。

話してみると明るいおばあちゃんで、とにかくよくしゃべる。
父の無軌道やんちゃぶりもよくご存じで、「お母さん、苦労したはったもんな」とおっしゃってました。

お体の都合で、骨揚げを待たずに帰られたのですが、「お母さんに、よう似てるわ」と何度言われたことか。

午後2時過ぎ、再度火葬場に向かいました。
既に炉から出された白骨になったすぎやんが、私たちを出迎えてくれました。

納骨の都合で、すぎやんの骨は大小2つの骨壺に分けます。
まず小さい骨壺に、職員の方が説明を加えながら、お骨を順番に入れていかれます。
一番上にのど仏をのせるのですが、すぎやんののど仏を拾い上げた職員の方はこうおっしゃいました。

「きれいな仏様の形をしていらっしゃいます」

本当に、崩れもせず、きれいな形のままでした。

その後、残った骨を大きな骨壺に足下から順番に入れていきます。骨壺に入りきらない大きな骨は、職員の方が適当に割ってくれました。
「できるだけたくさん入れてあげて下さい」と職員の方がおっしゃる中、私も親戚も黙々とお骨を壺に入れていきます。

お骨の中には、熱で青く変色した金属がありました。

「わしを燃やしたら、足のあたりから金属が出てくるぞ。手術して入れたやつが」

時々言っていたすぎやんの言葉が、頭の中をよぎりました。

骨揚げ終了。
2つの骨壺を白い布でひとまとめにし、火葬証明書を受け取り、再度葬儀会場に戻りました。

その後、初七日法要。
本来の初七日は翌々日の月曜日ですが、この日に済ませてしまおうと思ったのです。
親戚もそのまま残り、法要に付き合ってくれました。

全ての儀式が終了したのは、午後3時過ぎ。
親戚が私を車で送り届けてくれました。

帰宅してしばらくすると、葬儀社担当のSさんが飾り付けに来て下さいました。
手際よくぱぱっと作業され、Sさんの手によって、すぎやんの遺影・お骨が無事に安置されました。

本当は四十九日まで火を絶やさないようにするのだが、最近は安全のために電灯を使っている。だから、渦巻き線香などを焚く必要はないが、この電灯は四十九日までは絶対消さずに、付けっぱなしにすること。

お供えはご飯だけ。浄土真宗では、お茶やお水は供える必要がない。普段はお供えしていても、お寺さんが来られる時は、下げておいた方がよい。

四十九日を迎えたら、連絡をくれれば、片付けに来る。

そんな注意事項を述べられた後、こう言い残してSさんは帰って行かれました。

「お疲れが出ませんように」

とうとう、ひとりに、なっちゃいました。

私はすぎやんの前に座り込み、「帰ってきたで」と声を掛け、しばらく呆然。
また涙が、ひとりでに、ぽたぽた。

その後気を取り直し、前日の宿泊セットだけは片付けることにしました。
その中には、防寒着の代わりとして持ち込んだ、すぎやんのジャンパーがありました。
そのジャンパー、なぜか少し重いのが気になっていました。

改めて調べてみると、内ポケットに何かが入っています。
取り出してみると、ティッシュにくるんだ100円玉が8枚出てきました。

いつ入れたものなんだろう。入院する前に準備したのかな、それともへそくりかな。
いかにもすぎやんらしくて、笑ってしまいました。


飾り付け






2009年1月15日の娘

すぎやんが亡くなって、既に10日ほど経過。

ちょっと油断するとすぐ泣いてしまう日々が続いていましたが、後回しにはできない様々な後片付けが残っています。
そのうちのひとつが、すぎやんが暮らしていた部屋の明け渡しです。

すぎやんが亡くなったということは、空き部屋が出るということです。施設側は当然、次の入居希望者に連絡をしているはずです。
部屋の原状復帰のための工事も入りますので、亡くなった日から約2週間前後で部屋を明け渡さなければなりません。

この日、思ったより早く予定していた用事を済ませることができたので、すぎやんの部屋に行くことにしました。
片付けは、2回に分けて実施することにしていました。1回目は小物の持ち帰り、2回目は家具の撤去。

家具の撤去時には無理だと思ったので、この日、最後まで帰りたがっていた部屋に、すぎやんの位牌を連れて行くことにしました。

「今頃になってしもうたけど、行こか。帰りたかったもんな」

荷物を入れるための鞄や袋をたくさん持って、バイクで施設に向かいました。
すぎやんの部屋に入り、タンスの上に位牌をそっと置き、ため息ひとつ。

すぎやんの位牌

私がやってきたのを見て、部屋までわざわざ挨拶に来て下さるスタッフの方が数人。
すぎやんの位牌を見て、皆さんはそっと手を合わせて下さいました。

すぎやんが部屋に戻れるよう祈りを込め、入院時に着用していた洗濯済みの普段着を部屋に運んでおいたのですが、結局そのまま持ち帰ることになってしまいました。
余計な物は置かず、必要になった時にその都度運ぶようにしていたのですが、そんなわけで予想以上に荷物がかさばりました。

一度では運べないため、家と施設をバイクで何往復かしましたが、一番大変だったのが加湿器。1年しか使用していないので、これは何とか持ち帰らねばと頑張りました。
だけど、バイクに積むのに難儀しましたし、車体がふらついたので怖かった。

近所に越してきていてよかった、と実感した瞬間でした。

すぎやんが愛用していた車椅子と、食事時に使用していたワゴンは、持ち帰っても私は使いません。それで、施設に寄贈することにしました。
物は、使ってこそ、物です。施設内でこれらを有効活用してもらえるのなら、私にとってこれほどうれしいことはありませんから。

片付けがほぼ終了した後、私はデジカメ片手に部屋を出ました。
まずは、玄関横に飾ってあるスタッフ全員の顔写真が貼ってあるパネルを撮影。
後日、あることで必要となるので、撮影しておきたかったのです。

それから外に出て、施設の外観をあちこち撮影。

施設外観

すぎやんの散歩コースにあった、お気に入りの公園。

公園

近くを流れる川には、鳥がいました。

川の鳥たち


施設の周囲をぐるりと一周して部屋に戻り、ひとしきり泣いてしまった私。
さっきまで歩いていた場所を、ついこの間まで、すぎやんが散歩していたんだと思うと、もうたまらなかった。我慢できなかった。

位牌と荷物をバイクに載せ、呆然としたまま最後の復路を走っていると、後ろから警察官が追いかけてきました。
踏切で一旦停止しなかったらしく、交通違反キップを切られてしまいました。

その直前まで大泣きしていたので、一旦停止しなかったかどうかも、正直あまり記憶に残っていませんでした。だから、警官への問いかけにうまく答えることができません。
うつろな顔をしているし、反応も鈍いので、警官も変な女だと思ってただろうな。

四十九日までの毎週月曜日の午前には、七日ごとの法要があります。
できるだけ用事はまとめて済ませたかったので、翌週の月曜日の午後から家具類の撤去を行いたいと業者に依頼、無事予約が取れました。






2009年1月19日の娘

すぎやんが暮らしていた部屋を明け渡す日がやってきました。

部屋に残っている家具類を撤去するためにお願いした業者は、ぱぱっとレンジャー
その場で電卓をたたいて無料見積をしてくれ、価格に納得して撤去をお願いすると、すぐ持ち帰ってくれます。
見積だけでも、もちろんOK。カード支払いもできます。

ここへの依頼は2回目。前回は、マンションへの引っ越し前でした。
正直なところ、割高感のある価格設定でした。にもかかわらず、今回再度依頼した理由は、彼らの作業の早さと段取りの良さ。私ひとりではぴくりとも動かない金庫を軽々と持ち上げた姿に、ほれぼれしたのです。

14時過ぎに施設までお越し下さるとのことだったので、私は約束の時間の15分ほど前に施設に行きました。
この時間帯は、昼食とおやつの時間の狭間です。部屋で過ごす入所者さんが多く、談話室と呼ばれているリビングも静かでした。

私の姿を見つけたキッチンスタッフの方が、コーヒーを用意してくれました。
部屋に荷物を置いて談話室に行くと、入所者さんの家族さんのひとりとばったり。

生前すぎやんがお世話になったのは、スタッフの皆さんだけではありません。
定期的に訪問される家族さんたちの顔ぶれは、だいたい決まっているのが実情です。だから家族同士、自然と話をする機会も多くなるのです。
すぎやんの場合は、やや聞き取りにくいものの、普通に会話ができましたので、気の合う家族さん方とは打ち解けて話をしていました。

この日偶然お会いした方は、ほぼ寝たきりのお母様の顔を見に、ほぼ毎日施設を訪問されています。
すぎやんとも顔を合わせる機会が多かったようで、時々散歩に付き合って下さったり、お菓子などを買って下さったりしたこともあったようです。

業者を待つ間、コーヒーを飲みながら、二人で過ごしました。
すぎやんの病気のことなど、問われるままに話していると、「そうだったの・・・」と言いながら静かに聞いて下さいました。

そうこうしているうちに、前の作業に手間取り、30分ほど遅れるとの平謝りの電話が業者から入り、さらに待ち時間が延びることに。
仕方がないので談話室でくつろいでいると、顔なじみの介護スタッフの方が来られ、ご挨拶。

この時のできごとは、こちらからもお読みになれます。

別フロアで日勤中だった、すぎやんが大好きだった「つねちゃん」というスタッフも、わざわざ挨拶に来て下さいました。
通夜の後、すぎやんに宛てた手紙を持って来てくれた方です。

彼女には是非もらってほしい物があったので、聞いてみました。

「あのう、ビール、いりませんか? すぎやんのために買っておいたものなんですけど、私は飲めないんで余っちゃって」
「いいんですか?」
「そのかわり、発泡酒じゃなくて、第3のビールですけど・・・」
「いいです、いいです。うれしいです。いただきます。ありがとうございます」

受渡方法を決めた後、彼女の携帯番号を教えてもらいました。
つねちゃんが仕事に戻ってしばらくすると、業者が変な汗をかきながら到着。

「遅れてすみません・・・」

早速部屋に案内し、撤去依頼物を見てもらいました。
内訳は、小型テレビ、1ドア小型冷蔵庫、タンス、ベッドサイドテーブル、布団・リネン類です。
はじき出された見積総合計額は、約5万円。

「高いねぇ」とつぶやきながら、見積担当者といろいろお話ししましたが、見積価格どおりで撤去してもらうことにしました。
撤去作業、約5分。あっという間に終了。

業者が帰られた後、最後の掃除をしました。
原状復帰工事が入るので、掃除などしなくてもよいのですが、やっぱりしておきたかった。
部屋の入口のネームプレートも、外しました。

「立つ鳥跡を濁さず」のような心境でしょうか。


すぎやんの部屋


すぎやんの部屋


すぎやんの部屋


そして、退去手続きに必要な書類や、すぎやんと私が持っていた部屋の合鍵など、事務所に全て提出・返却し、掃除用具を抱えて施設を出ました。

約5年間お世話になったこの場所とも、とうとうお別れです。
様々な気持ちを抱きながら、毎週通った場所です。またひとつ、心の中に空洞ができたような気がしました。
振り返り、振り返り、施設を後にしました。

いつか必ず来る日が来ただけのことなんだけれど、まさかこんなに早く退去の日が来るなんて、返す返すも想定外だったなぁ。






四十九日までの娘

すぎやんが亡くなってから10日ほど経つと、悲しい思いは消えないものの、少しずつ気持ちが落ち着いてきました。
病院や施設から持ち帰ってきた山のような荷物の片付けを終えたのは、ちょうどこの頃。

四十九日までの毎週月曜日は、七日ごとの法要日。
午前中にお寺さんが来られ、お経を上げて下さいます。

すぎやんが亡くなったことで、様々な手続きも発生します。それらを片付けるために、あちこちバイクで走り回りました。
ひとつずつ、ひとつずつ、すぎやんの名前が消えていきました。

●この頃のできごとは、以下の記事でもお読みになれます。
手続き行脚・第一弾(1月14日編)
手続き行脚・第一弾(1月15日編)


2月に入ると、私の頭の中は、四十九日に向けての準備のことでいっぱいになりました。
法要はいつどこで行うか、お膳はどうするか、満中陰志や祖供養はどうするか。

本来の四十九日に当たる日は、2月23日の月曜日。
ですが平日ですので、21日の土曜日に行うことにしました。翌日が日曜日なので、参列してくれる方にも負担が少ないと思いましたし。
住職さんのご都合もOKで、午前11時から法要、その後墓地に移動して納骨という段取りになりました。

法要は、住職さんのご提案に従い、お寺の部屋をお借りすることにしました。
法要後に墓地へ行って納骨する予定にしていたのですが、お寺の場所は我が家と墓地のちょうど中間地点。お互いに無駄のない案だと思ったのです。

参列者が全員電車でやって来るという話をしたら、住職さんがこうおっしゃいました。

「何でしたら、納骨の時、車、出しましょうか?」
「え? お寺の、ですか?」
「5人くらいまでだったら、乗れますよ。それ以上増えるようやったら、タクシーが必要かと思いますけど」
「うわ、うれしい。お願いしようかな・・・」

その法要参列者の人数は、最後まで流動的でした。
当初は6人ほど来ていただけそうだったのですが、二転三転し、結局4人。
結果、納骨時に移動するためのタクシーは、不要になりました。

納骨後にお寺に戻って、お膳を食べてもらおうかと考えていたのですが、お寺によく出入りしている料理屋さんに料金を聞くと、最低価格5,000円。

逡巡した結果、お寺での食事はやめ、外食に切り替えました。
私含めてたった5人ですし、参列してくれる親戚は、よく顔を合わせる気の置けない人ばかり。
少々の失敗があっても大目に見てくれると思ったのです。

満中陰志は、隣市のデパートに出向き、発送手続きを済ませました。
祖供養は、仕事の帰りに大阪市内のデパートで購入、持ち帰りました。

あと、お世話になった施設スタッフに、どうにかして感謝の気持ちを伝えたいと思った私。
物を贈るのは簡単だけど、全員に行き渡らない可能性もあるし、芸もないし。
いろいろ考えた末、スタッフ全員に手紙を書くことを思いつきました。

先日デジカメで撮影した、玄関横に飾ってあるスタッフ全員の顔写真と名前が記載されたパネルの写真と、通夜・告別式に参列してくれたスタッフのお名前を見ながら、おひとりおひとりに手紙を書きました。

「書いた」とはいえ、数が多いのでパソコンでの作成。
何度も何度も修正しながら作成したので、完成まで約2日かかりました。
だけどパソコンじゃなかったら、えらいこと時間がかかっていたと思います。

四十九日直前には、前もって納骨手続きを済ませました。
前日にはお墓の掃除にも行き、納骨時に必要な花も購入。

四十九日当日、家からお寺までタクシーで行くつもりでしたが、荷物が多くてひとりでは運べそうもありません。そこで、親戚のひとりに当日朝に自宅まで来てもらい、荷物を持ってもらって一緒にお寺に行くことにしました。

すぎやんらしく、私らしい満中陰になりますように。大きな失敗、しませんように。
それだけを願い、思いながら、四十九日の日を迎えました。






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