2007年2月1日のすぎやん

2007年2月1日のすぎやん


昼下がり、施設のWさんから電話がかかってきました。

昼頃からすぎやんの様子がおかしくなり、珍しくコールを鳴らして「しんどい」と訴えた。数回嘔吐し、頭を左に向けたまま寝転び、名前を呼んでも応答しない時があるので、救急車を呼びますとのこと。

容態を聞いて絶対に入院だと直感、大急ぎで入院準備に取りかかりました。決まった搬送先病院は、家からバイクで10分もかからない場所。救急車にはWさんが付き添って下さるとのことなので、バイクで病院まで急行。病院の入口で、ちょうど救急車と合流できました。
顔を見ると、確かに様子が変。熱はないものの反応が鈍く、しゃべる元気もありません。

私とWさんがERに入ると、脳外科の先生がおられました。
昭和59年11月に大阪医大で脳外科手術を受けたと伝えると、その先生は「僕もその頃、その医大にいたけど、11月やったら外に出てた(別の病院で診療していた)な。執刀医は誰やろ」と言いつつ、すぎやんに大きな声で確認し始めました。その質問にすぎやんは何とか応答するものの、違う診療科の先生のお名前だとのことでした。

そして、先生の説明が始まりました。
今までも軽いけいれんがあったはずで、ERに入ってからも軽いのがあった。寝ころんだ状態で顔を左に向け、呼びかけても反応がなかったが、本当に一瞬で終わるような類のけいれんだったので、きっと誰も気が付かないだろう。
障害の様子を見ると、非常にけいれんが起こりやすいと思われるので、けいれんを抑える薬を飲む必要がある。
普段飲んでおられるなら入院の必要はないけど、一旦入院して点滴等で薬を全身に回した方がいいかもしれない。

そんな説明の最中、突然ものすごいけいれんの発作が始まりました。
全身を硬直させ、手を伸ばし、顔も引きつり、その表情はまるで「ムンクの叫び」のようでした。顔色はあっという間に土色に変わり、もし歯があったら(すぎやんは全ての歯を抜歯している)、舌をかむのではないかと思うほど苦しそうな顔でした。
その間、約1分。こんなつらそうなすぎやんの顔を見るのは、初めてでした。見ている私まで、全身が硬直しそうでした。

発作が終わると先生はひとこと。
「入院決定やね」

レントゲンやCT撮影の後、慌ただしく病室に入りました。入ったのは、ナースステーション前の個室。病室に入るまで、Wさんがそばにいて下さり、ER等でも適切な伝達をして下さり、本当に助かりました。
ベッドに落ち着いてからも、すぎやんは何度も嘔吐していました。

入院手続きを済ませ、病衣等は全てレンタルし、荷物整理し、施設まで今後必要になる物を取りに行き、不要な物は家に持ち帰りと、バイクで走り回りました。

入院した病院は、地元に昔からあるのですが、最近新築されて全館ピカピカ。事務所はもちろん、ナースステーションにもパソコン完備。
すぎやんをストレッチャーからベッドへ移す際も、昔なら人力で持ち上げていたけど、ここでは人の身長くらいの長さの板を、すぎやんの体の下に入れ、転がすようにしておられました。確かにこうすれば、移動する側・させる側双方とも負担が少ないです。現代の技に見とれました。

今から思えば、しばらく前からしんどそうだったのは、これの前兆だったんだ。けいれんだって、もしかしたら本人ですら気が付いていなかったのかも。
最後にけいれん発作が起こってから、もう10年近くは経過していたから、再発作が起こるなんて夢にも思いませんでした。

今まで何度も死の淵から生還したすぎやん、今回も無事復活してくれることを祈るばかりです。




2007年2月2日のすぎやん

2007年2月2日のすぎやん


夕方に病室に入ると、すぎやんは目を覚ましていました。私の顔を見ると、こんなことを言い出しました。

「発泡酒、半分以上残してきた」
「え?」
「飲まれへんかったから、残りは冷蔵庫に入れてきた」

この期に及んで、「発泡酒」ですかぁ〜。やれやれ。

他の話も脈絡がなく、まだ意識障害が残っているようです。救急車で搬送されたことも、自分がどこにいるのかも、わかっていません。また、前日の激しいけいれんのことも、覚えていない様子です。
ただ、「おかゆは、いや」だということは、看護師さんにはっきり伝えたようで、その日の晩ご飯は、うどんでした。食べにくそうだったが、全て平らげました。また、新たな発作は起こっていないとのことで、ほっとしました。

でもまだしんどいらしく、食事が終わるとすぐに寝ころび、しゃべったかと思うと目を閉じ、不意に目を開けてしゃべり、その合間に大きなあくびをするという繰り返しです。顔色は悪くはないが、まだ朦朧とした様子です。
明日、主治医からCT検査の結果が聞けるとのことでした。




2007年2月3日のすぎやん

2007年2月3日のすぎやん


昼前に病室に到着したが、すぎやんは熟睡中。起こすのもかわいそうなので、昼ご飯が来るまで寝かせておきました。
目覚めた時、私のことを「知らん人や」と言い出して、軽いショックを受けました。

「私のこと、わかる?」と声を掛けると、配膳してくれた看護師さんに「知らん人やのに、『私のこと、わかる?』って聞かれてもわからへん」と訴えるので、またまたショック。

―とうとう私のことがわからなくなる時が来たのね―

そんなことを思いながらベッドを起こすと、「ああ、お前か」と言ってくれ、ほっといたしました。

昼ご飯は、焼きそば・ごはん・サラダ・みかん。「うまない」と言いつつ、焼きそばは麺を平らげ、ごはんも食べ、みかんもむいてあげると食べていました。ただ、サラダ用のドレッシングの袋を見ながら、「そこにある味付け海苔をくれ」と2〜3回言っていたので、まだやや意識が朦朧としている様子です。また、場所の特定もはっきりできず、滑舌も怪しげで言葉が聞き取りづらいです。

その後、主治医からの話を聞くことができました。
CT撮影の結果を見せてもらいましたが、今時は写真でなく、パソコン画面で確認なんですね。それも、三次元グラフィック。頭の中味が360度回転しますよ。びっくりですよ。思わず「おおっ」と叫んでしまって、主治医と看護師さんに笑われましたよ。

約20年前のすぎやんの病名は、私は「くも膜下出血」だと聞かされていました。でもすぎやんは、「脳梗塞」と言い張っていました。
当時私は20歳。何が何だかわからないまま、当時の主治医の話を母と一緒に聞いたので、記憶が曖昧でした。それで、今回の症状と併せていろいろと質問してみました。女医さんで、聞きやすい雰囲気の方でしたし。
で、当時の状況がはっきりわかりました。

すぎやんの病名は、やはり「くも膜下出血」が正解でした。
この病気になると「クリッピング手術」が行われるそうです。要するに、出血を止めるために、脳の中の血管をクリップするのです。出血は止まりますが、脳の血管が細くなって血流が悪くなるという副作用があるそうで、その副作用の最たる物が「脳梗塞」。

実は、くも膜下出血の手術がとりあえず成功し、病院に詰めていた母が一旦帰宅したのですが、またすぐに病院に呼び出されました。すぎやんが危篤状態に陥ったこともあり、その後数週間、病院に泊まり込むことになったのです。
すぎやんは、くも膜下出血と脳梗塞の両方を発症したのだということが、ようやっと理解できた私。

その梗塞跡は、パソコン画面ではっきり確認できました。「かなり大きいですねぇ」との先生の言葉からも、当時の病状のすさまじさがうかがえました。

で、今回のけいれんの原因。先生は、3つの可能性を挙げられました。
1)20年前の梗塞
2)新たな梗塞がどこかにできている
3)梗塞とは関係なく、脳全体のてんかん

けいれんの始まりが左半身からだったと言うと、先生は、「それならたぶん、原因は1)でしょう」とおっしゃいました。そして、現在はけいれんを抑える薬を服用してもらっているが、それが蓄積されるのに数日かかる。その後、再度CT撮影と血液検査を行い、薬の量や種類を調整して、再度発作が起こらなければ退院でしょう。早くても来週末くらいになるでしょう。薬は予防のためのものなので、今後はずっと服用する必要があるが、それでも発作が起こる時があります。今はけいれんで、体も脳も疲れているけれど、数日したら元に戻るでしょう。命に別状はありません、とのことでした。

とりあえず、一安心です。




2007年2月4日のすぎやん

2007年2月4日のすぎやん


熟睡中。しばらく起きるのを待ってみたのですが、一向に目を覚ましそうにないので、声を掛けて起こしました。少々寝とぼけてはいましたが、今日は私のことをすぐに理解してくれました。

記憶はまだ混濁していて、今の施設と、以前お世話になった老健施設の情報がまぜこぜになっています。滑舌も悪く、口の中でもごもごとしゃべることもあるので、少し聞き取りづらいです。顔色は悪くないのですが、まだとろんとした表情で、眠そうです。

そして突然、こんなことを言い出しました。

「わしは幸せもんや。K(私の母の名前)と一緒になって、お前がおってくれて。幸せな人生やった。わしの人生、悔いはない」

何度も過去形で言うので、「『やった』と違うで。まだ死ぬわけとちゃうで」と返したが、今生の別れのような言葉に、ちょっとたじろぎました。

この病院には、配茶がありません。なので、ペットボトルのお茶を持って行って飲ませると、あっという間に吸い飲み2杯分を飲み干しました。
寝起きで、喉が渇いていたようです。




2007年2月5日のすぎやん

2007年2月5日のすぎやん


夕食の真っ最中でした。うどんをすする勢いも、だいぶついてきたようで、嫌いな物以外は完食でした。

床頭台には、テレビが置かれています。なんと、小型液晶テレビ・アクオス!
テレビを見たがるすぎやんに、ややこしげなリモコンの使い方をざっと伝授しました。

それにしても、スイッチを入れたらすぐ見られるのだが、無料だろうか・・・。
病室備え付けのテレビといえば、有料なのがあたりまえだと思うのだが・・・。

ま、いいや。

少し元気になってきたすぎやんですが、個室なのに「横に人がおる」とか言ったり、ナースコールの音が聞こえると、「またあのあほ(誰のことかはわからない)が鳴らしとる」と、ぶつぶつ言ったりしてます。
自分のいる場所は、相変わらず把握できていません。

「午前中、下に散歩に行ってきた。建物の幅はそんなにないな。ぐるりをぐるっとまわって、部屋に戻ってきた。職員に『すぎやん、散歩に行ってきたんか』って聞かれたから、『そうや』言うた」

うーん。いったいいつの話だ・・・。




2007年2月7日のすぎやん

2007年2月7日のすぎやん


夜7時前に病院に到着。ベッドを起こしてテレビを見ていました。伸びたひげも剃ってもらったようで、さっぱりした顔をしています。

やっと自分のいる部屋が「個室である」ということが理解できたすぎやん。でも、何度教えても病院の名前が覚えられません。出てくるのは、以前腸閉塞で入院した病院と、母が生前勤務していた病院名の繰り返しです。

ベッド上で用を足すのも嫌がるようになり、看護師さんに手伝ってもらって車椅子に移乗し、トイレに行くようになりました。ベッドから車椅子への移乗も何とかできているようです。

まだ元気が薄く、しゃべりにも勢いがありませんが、口数は日に日に多くなってきました。「退院は明日か、しゃべる相手がおらへんから、ここより施設の方がええわ」と言い出しました。

そんな中でも、楽しみを何とか見つけるのがすぎやんです。

「ひとり、毎日しゃべりに来てくれる女の子がおる。ヘルパーさんらしいわ。かわいい子やで」
「ふーん、よかったやん。べっぴんさん?」
「いや、顔は、ようない」

復活のきざしが見えてきた、かな?




2007年2月9日のすぎやん

2007年2月9日のすぎやん


夕方、病院から電話がありました。何かあったのかとどきっとしましたが、明日主治医から話があるとのこと。検査した、とかすぎやんが言っていたので、結果が出たのかもしれません。

夜、病院に行くと、トイレで踏ん張っている最中でした。便意はあるものの、どうにも出ないらしく、少しつらそうです。
それでも元気そうで、声に張りが出てきました。すぎやん曰く、

「また生き返ったな」。

シャワー浴だが入浴もさせてもらい、さっぱりしたと喜んでいました。

ここ数日続く、「ここはどこ?」というすぎやんへの質問。この日初めて、一発で正解が出ました。やれやれ、と思い、「場所はどのへん?」と聞いたら「・・・山手の方や」という答え。

ぶぶーっ。それは2年前、腸閉塞で入院した病院の場所です。




2007年2月10日のすぎやん

2007年2月10日のすぎやん


昼、主治医からの話がありました。

入院時と先日撮影したCTを見比べながらの説明で、脳に新たな出血は見られず、今回のけいれんは古い梗塞が原因ではないかとの結論でした。

血液検査の結果も、抗てんかん剤の「バルブロ酸ナトリウム」の値が50〜100くらいならOKなのだが、すぎやんは90台なので、大丈夫でしょうとのことでした。
ただ、この値が100以上でもダメな人もいれば、50以下でもOKな人もおり、個人差が大きい。ですが、今のところは大丈夫だと思われるので、今後定期的に血液検査をして、その結果によって薬の増減をしたらよいのでは、とのことでした。

施設の受け入れがOKなら、今日退院してもよいですよ、との許可が出ました。
今日は土曜日なので、今日退院しないなら手続きの関係で、月曜以降の退院となるとのこと。移動手段がないと伝えると、病院から施設まで送迎車を出して下さるとの、ラッキーな一言。
施設からは、今日退院でも受け入れOKとの連絡が届き、退院が正式に決定。

入院時と同様、慌ただしく退院準備に取りかかりました。とりあえず一旦家に戻り、着替えや荷物を入れる鞄を持って、病院にとんぼ返り。
今日退院できるよ、とすぎやんに伝えると、うれしそうです。でも、いつもならこういう時に先走って興奮状態に陥るのですが、ひどい便秘状態で、それどころではない様子です。

部屋の片付けを始めてしばらくすると、施設ですぎやんの担当をしてくれているつねちゃんが、お見舞いに来てくれました。お休みを利用して顔を出して下さったとのことで、あまりのタイミングのよさにびっくりしました。
すぎやんのトイレ介助もお手伝い下さり、つねちゃんの顔を見たすぎやんは、「来てくれたんか」と、とても喜んでいました。

退院手続きを慌ただしく済ませ、あっという間に病院とお別れです。
見送りに出て下さった看護師さんたちに、すぎやんは「長い間世話になったな。すまんかったな」「別れは寂しいのう」と、名残を惜しんでいます。
別れとなると、めそめそするすぎやんですが、さすがに今日は泣きませんでした。

施設に戻ると、スタッフの皆さんや、顔なじみの家族さんが「お帰り」と出迎えて下さいました。
部屋に戻るなり、トイレに座ったすぎやん。かなりの便が詰まっている様子で、看護スタッフの方による摘便開始。

スタッフが「頑張れ!」と声を掛け、本人も大声を出しながら頑張りますが、腹筋がないのでなかなか出ません。お尻からは出血し、すぎやんへとへと。

摘便第1ラウンド終了後、こんな会話を交わして、私も施設を後にしました。

「帰ってきて、ほっとしたわ」
「私もほっとしたわ」
「長いこと、すまんかったのう。お前のおかげで帰ってこれた」
「そんなことない、自分が頑張ったからやで」




2007年2月11日のすぎやん

2007年2月11日のすぎやん


「うんこ、出た?」
「おう、出たぞ。ものすごいこと、出た」

何でも、昨日私が帰った後に再開された「摘便第2ラウンド」で、無事全部出たらしいです。全部出てしまうまでは、かなり苦しかったらしく、

「便が出て、ものすごう楽になった。こんなに便が出えへんかったら苦しいとは思わなんだ」

すぎやんの熱弁は、かなり長く続きました。

ところで、昨日の退院前、主治医に飲酒の可否を確認しましたが、特に禁止の指示はありませんでした。

「それで、昨日からビール、飲んでるん?」
「おう、晩ご飯といっしょに、持ってきてくれる」
「あのさぁ、退院したてで病み上がりやねんから、ちょっと控えようかなとか、思わへん?」
「いや、あの白い缶を見たら、あかん」


白い缶


完全復活間近です。




2007年2月18日のすぎやん

2007年2月18日のすぎやん


声にも元気が出てきて、すっかり復活した様子です。何しろ本人が、「死ぬ気がせん」と言っているくらいですから。

元気そうなので、今の家が無事売れ、マンションに住み替えることが決まったことを話しました。
家の査定をしてもらう、という話をしたのが、去年の秋。ずいぶん時間が経ってしまっていたので、すぎやんはかなりびっくりしていました。

びっくりしながらも、マンションの場所はどこや、家はなんぼで売れたんや、どんなやつが買うたんや、売れた金でちゃんとマンションが買えるんか、いつまで前の家があるんや、いつ引っ越すんや等と、機関銃のような勢いで質問してきます。
その質問に、ひとつひとつ答えていく私。

あっという間に買い手が決まったことについては、「当然や。ええ場所やし、家はきれいやし」とうれしそうなすぎやん。でもやはり、寂しそうな様子も見せていました。
何たって、自分が買った家ですもん。

それでも、戸建てに1人で住む私のことを、前から心配してくれていたすぎやん。「マンションはオートロックやろ。安全や」と気遣ってくれました。

私はといえば、結構ナーバスな状態でした。
両親が購入した家と土地を手放すということ、40年間住み慣れた場所を離れるということに、大きな重圧みたいなものが押し寄せてきていたのです。

これからすぎやんにずっと元気でいてもらうためと、私の今後のことを考えての移動やねんけど、勝手なことして、私の独断で決めてごめんな、って何度も謝っていたら、すぎやんは「もう言うな」と言い、こう続けました。

「わしの時代は終わったんや。これからはお前の時代や。お前に任せた。Sさん(私の祖母・すぎやんの義母)も、K(私の母)も、『ようやった』って納得してくれるわ。お前がちゃんとしてるから、ええとこにちゃんと住むとこが見つかったんや。そうか、あそこに住んで40年か。区切りやのう。未練がないって言うたらウソになるけど、しゃあないやんけ。お前の方が寂しいやろ、あそこで育ったんやからな」

今度話した時には、すぎやんはまた違うことを言うかもしれない。でも今日のすぎやんの言葉を、私は絶対忘れません。
私のことを思ってくれ、気遣ってくれた言葉だと信じたいです。




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